予習シリーズ 小5社会(下)第8回「安土桃山時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

予習シリーズ 小5社会(下)第8回「安土桃山時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

小5社会(下)の第8回は「安土桃山時代」です。前回の室町時代で幕府の力が下り坂になり、下剋上の流れが始まったところまで学びました。今回はその続き——実力で上り詰めた2人の天下人、織田信長と豊臣秀吉の時代です。

この回のいちばん大切な見方は、「2人の主人公の“ちがい”で読む」ということです。信長は「古い特権を壊す」人、秀吉は「新しいルールを作る」人。信長は天下統一を果たせず、秀吉は果たした。信長は仏教を弾圧してキリスト教を保護し、秀吉はキリスト教の布教を禁止した。この対比が、この単元のいちばんおいしいところです。

そして2本目の軸が「海外との出会い」です。1543年の鉄砲、1549年のキリスト教——この2つが戦い方も文化も変えた。鉄砲が戦国を終わらせ、南蛮文化が桃山文化を彩った——「外から来たものが時代を動かす」流れをつかみましょう。

親子で取り組むときは、「信長=壊す、秀吉=作る」と声に出してみてください。この6文字で、2人の政策がごちゃごちゃにならなくなります。


1 今回の単元、6つの柱

まず全体像をつかみましょう。第8回の出題は、大きく次の6分野に分かれます。

分野 おさえる内容 最優先チェック
戦国大名 下剋上、戦国時代、主な戦国大名と領地 応仁の乱から約100年
戦国の生き残り策 軍事強化・分国法・治水と鉱山 課題3つと対策3つの対応
ヨーロッパとの出会い 鉄砲伝来、キリスト教伝来、南蛮貿易 1543年・1549年の区別
織田信長 桶狭間・室町幕府滅亡・長篠・安土城・本能寺の変 政策は「楽市楽座」と「仏教弾圧」
豊臣秀吉 太閤検地・刀狩令・天下統一・朝鮮出兵 1588年刀狩→1590年統一の順
桃山文化 城郭建築、障壁画、茶道、芸能 狩野永徳・千利休・出雲の阿国

ポイント:この回は「戦国の世 → 外との出会い → 信長 → 秀吉 → 文化」の順に並んでいます。「乱れた世を、2人がどう片づけたか」という1本の物語として読むと、年号がただの数字ではなくなります。


2 安土桃山時代の全体像

時期 できごと ポイント
1467年〜 応仁の乱 → 戦国時代(約100年) 守護大名が衰え、下剋上が始まる
1543・1549年 鉄砲伝来・キリスト教伝来 戦い方と文化を変えた
1560〜1582年 織田信長の時代 桶狭間 → 室町幕府滅亡 → 長篠 → 安土城 → 本能寺の変
1582〜1598年 豊臣秀吉の時代 太閤検地 → 刀狩 → 天下統一 → 朝鮮出兵
1600・1603年 関ヶ原の戦い → 江戸幕府 次の時代へ

「安土桃山時代」という名前は、信長の安土城と、秀吉の伏見城のあった地名「桃山」からきています。

ポイント:「安土=信長、桃山=秀吉」。安土城(滋賀県)と伏見城(京都府)——2つの城の名前が時代の名前になっています。


3 戦国大名のおこり

応仁の乱によって多くの守護大名はおとろえ、代わってその家臣や村の侍(国人)などが守護大名を倒して、戦国大名になりました。

このように、下の身分の者が実力によって上の者を倒す風潮を下剋上(げこくじょう)といいます。

応仁の乱の後、戦国大名は領地を広げるため、16世紀の末までたがいにはげしく戦いました。 応仁の乱からの約100年間を戦国時代といいます。

主な戦国大名と領地

戦国大名 国 特徴
武田(甲斐) 甲斐(山梨県) 信玄が信玄堤を作る。勝頼は長篠の戦いで信長に敗れる
上杉(越後) 越後(新潟県) 川中島などで武田と争う
今川(駿河) 駿河(静岡県) 桶狭間の戦いで信長に敗れる
織田(尾張) 尾張(愛知県) 天下統一の道半ばで倒れ、家臣の秀吉がその意志を継ぐ
毛利(安芸) 安芸(広島県) 信長・秀吉の軍と激戦の末に和睦。後に五大老に
島津(薩摩) 薩摩(鹿児島県) 九州統一目前まで迫るが秀吉に敗れ降伏
北条(相模) 相模(神奈川県) 秀吉の小田原攻めに敗れ、これにて天下統一が完成
伊達(陸奥) 陸奥(宮城県) 東北地方の有力大名

ポイント:「武田=甲斐=山梨」「今川=駿河=静岡」「北条=相模=神奈川」——旧国名と現在の県名の対応が、この単元の隠れた得点源です。

注意:「北条氏」は鎌倉幕府の北条氏とは別——戦国時代の北条氏は「後北条氏」とよばれる一族で、小田原城を本拠にしました。同じ名字だが別人です。


4 戦国大名の生き残り戦略

応仁の乱以降、室町幕府の権威が失墜し、戦国大名は自分の力だけで対応する必要がありました。

3つの課題と3つの対策

課題 内容 対策
① 外との戦争 攻められたときの軍隊の動員スピードが勝敗を分ける 軍事強化——強固な城をつくり、家臣を地方の農村から城下町に集める
② 内部の争い 家臣同士の領地争いが絶えない 分国法——独自の法律を作り、家臣同士の勝手な争いを禁止し、裁く
③ 資金・食糧不足 戦いに勝つために大量の武器や食糧が必要 治水・鉱山開発——洪水を防ぎ水を取り入れ田畑を増やす。鉱山から金銀を獲得

具体的な事例

対策 事例
軍事強化(城) 信長の安土城/北条氏の小田原城/今川氏の駿府
分国法 今川氏の「今川仮名目録」/武田氏の「甲州法度之次第」
治水・鉱山 武田信玄の信玄堤/毛利氏の石見銀山

分国法の多くは、鎌倉幕府の「御成敗式目」の影響を受けていました。 自分の国の情報が他国にもれないようにしていたことや、どの分国法もきびしい刑罰を科していたことがわかります。

武田信玄が富士川上流の釜無川沿いに築いた堤防(信玄堤)は、領地の中であった甲府盆地を水害から守ることが目的でした。

ポイント:「課題と対策をペアで覚える」。外=軍事、内=法律、金=治水と鉱山——3つの矢印で覚えると、記述問題で迷いません。

注意:「分国法=その国だけの法律」。全国共通の法律ではありません。「分国=分かれた国」という言葉の意味から覚えましょう。


5 鉄砲とキリスト教の伝来

この時期(16世紀)、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国は船を使ってアジアに進出した「大航海時代」でした。 この影響を日本も受けることになります。

項目 鉄砲伝来 キリスト教伝来
いつ 1543年 1549年
誰が ポルトガル人を乗せた中国船が漂着して伝わる スペイン人のフランシスコ=ザビエル(宣教師)が鹿児島に上陸
場所 種子島(鹿児島県) 鹿児島

ザビエルは2年ほどで帰国しましたが、その後も次々に宣教師がやってきました。

鉄砲が広まった理由

種子島の領主は、ポルトガル人から鉄砲を買い求め、家臣に鉄砲の使い方とつくり方、また火薬を調合する方法を学ばせました。 その後、島の刀鍛冶が工夫を重ねて鉄砲を複製しました。 さらに領主は、種子島に製法を学びに来た者にも、その技術を教えるように命じました。

戦いをくり広げる戦国大名に注目された鉄砲は、堺(大阪府)や国友(滋賀県)で生産されるようになり、急速に広まっていきました。

鉄砲が変えた3つのこと

変わったこと 内容
① 戦い方 一騎打ちから集団戦法へ。長篠の戦いなどで威力を発揮
② 城の作り方 鉄砲に対策した城。堀を深く、石垣を高く、壁を厚く
③ 産業の発展 堺や国友で鉄砲を製造。国内で生産され急速に広まった

キリスト教が変えた3つのこと

変わったこと 内容
① 施設の拡大 教会・学校・病院・孤児院
② 貿易の活発化 宣教師=貿易の仲介者
③ キリシタンの増大 17世紀には30万人。キリシタン大名も出現(大友氏など)

1582年、九州のキリシタン大名によって、4人の少年がローマ教皇のもとに派遣されました(天正遣欧使節)。

ポイント:「1543=鉄砲(種子島)」「1549=キリスト教(鹿児島)」——6年違いの2つを、場所とセットで覚えましょう。どちらも九州という共通点も押さえておくと安心です。

注意:「鉄砲を伝えたのはポルトガル人、キリスト教を伝えたのはスペイン人」——国がちがいます。ザビエルはスペイン人です(ポルトガルではありません)。


6 南蛮貿易

ポルトガル人に次いでスペイン人も日本に来て、貿易を行うようになりました。 当時の日本人はポルトガル人やスペイン人を「南蛮人」とよび、彼らとの貿易を南蛮貿易といいました。

項目 内容
貿易相手 ポルトガル人・スペイン人(=南蛮人)
場所 平戸・長崎(長崎県)
輸出品 銀(多くは石見銀山で産出)
輸入品 鉄砲・火薬/中国産の生糸・絹織物

石見銀山(島根県・世界遺産)は当時、世界の3分の1の銀を産出しました。

かぼちゃ・じゃがいも・すいか・とうもろこし・たばこ・地球儀・めがねなども日本にもたらされました。 (ただし、常に輸入品だったわけではありません)

ポルトガルは中国のマカオを獲得して、貿易拠点にしました。

南蛮貿易が変えたこと

変化 内容
貿易の広がり 中国・朝鮮貿易に加えてヨーロッパとの貿易。様々な品目や安定した輸出入ができるようになった
利益 九州の大名や商人が莫大な利益を得た。銀や刀剣などの輸出産業が成立
生活 新作物の定着。飢饉に強い作物もあり全国に広まった

南蛮人もこの貿易で大きな利益を得て、その一部は宣教師の布教活動に使われました。

ポイント:「輸出=銀、輸入=鉄砲・火薬・生糸」。日本が輸出したのは「銀」——「日本は何を売って、何を買ったか」が問われます。

注意:「南蛮貿易の利益の一部が布教に使われた」——貿易と宣教がセットだったことが、秀吉がのちに警戒した理由につながります。


7 織田信長の道のり

織田信長は1534年、尾張国(愛知県)に生まれました。 父・織田信秀は守護代から戦国大名に下剋上しました。 尾張は周辺に比べて小さな国でした。

年 できごと 内容
1560年 桶狭間の戦い 今川義元(駿河国)に勝利。尾張の小国の信長が大国の今川を破る快挙
1567年頃 岐阜へ進出 楽市・楽座や関所の廃止などの経済政策。足利義昭と共に京都にのぼる
1573年 室町幕府の滅亡 足利義昭を追放し、室町幕府を滅亡させた
1575年 長篠の戦い 徳川家康と手を結び、武田勝頼(甲斐国)を破る。鉄砲を効果的に活用
1576年 安土城の築城 琵琶湖の南東岸に建設。ここを本拠地として天下統一をすすめた
1582年 本能寺の変 家臣の明智光秀に攻められ、京都の本能寺で自害

当初は協力し合った義昭と信長でしたが、その後双方の権力闘争となり、軍事力で強い信長が追放しました。

信長の死後、山崎の戦いで豊臣秀吉が明智光秀を討ちました。

ポイント:「桶狭間(1560)→ 室町幕府滅亡(1573)→ 長篠(1575)→ 安土城(1576)→ 本能寺の変(1582)」——この5つを順番に言えるかが最初の関門です。すべて「信長の道のり」の1本の線です。

注意:「長篠の戦い=織田+徳川 vs 武田勝頼」——相手は武田信玄ではなく、子の勝頼です。信玄はこの時すでに亡くなっています。


8 織田信長の政策

信長の政治を一言で言うと、「座や寺社が持っていた“昔の特権”を壊して、自由な経済と実力で動く政治の世界に作り替えた」ことです。

① 経済政策

項目 内容
背景 同業者組合(座)が特権を持ち独占していた。一方で信長は軍事のために大量の資金や物資を必要としていた
楽市・楽座 市場の税を免除し、「座」の特権をなくし、誰でも自由に商売ができるようにした
関所の通行料廃止 通るたびに必要な通行料を廃止し、出入りできるようにした
結果 全国から多くの商人が城下町に集まり経済が大きく発展。信長は他国を圧倒する財力を手に入れた

② 宗教・外交政策

項目 内容
背景 軍事を含め力を持った寺社勢力が政治に介入してくる。ヨーロッパの高い技術力(鉄砲や火薬)が戦の勝敗を決める
仏教を弾圧 信長に敵対する寺院(比叡山延暦寺や一向宗)を武力で弾圧
キリスト教を保護 キリスト教の宣教師を保護し、南蛮貿易を積極的に推奨
結果 南蛮貿易によりいち早く最新の技術と富を手に入れ、軍事力が強化。寺社の宗教勢力は衰退

信長は、比叡山延暦寺を焼き討ちしたり、一向宗を攻めたりしました。 キリスト教の保護には、敵対する仏教勢力をおさえる意味もあったのです。

石山本願寺は大阪にあった一向宗の総本山で、各地の一向一揆を指導しました。 信長に攻められ、そのあと地には豊臣秀吉が大阪城を築くことになります。

ポイント:「信長の政策=楽市楽座+関所廃止+仏教弾圧+キリスト教保護」の4点セット。「壊した」ものが座と寺社の特権、「認めた」ものが自由な商売とキリスト教——この2方向で整理しましょう。

注意:「信長はキリスト教徒だったわけではない」——保護したのは、仏教勢力をおさえるためと、南蛮貿易の技術・富を得るためです。宗教心ではなく、政治的な判断だった点が問われます。


9 豊臣秀吉の道のり

豊臣秀吉は尾張国中村(名古屋市)に生まれ、農民の出と考えられています。 下剋上の時代で次々に出世して、ついに天下統一を果たしました。

年 できごと 内容
1582年 山崎の戦い 明智光秀を討つ。戦闘中の毛利氏と和睦し、すぐに引き返して光秀を討った
1582年 太閤検地 年貢を確実に取るため制度を制定
1583年 大阪城の築城 石山本願寺の跡地に建設
1585年 関白に就任 朝廷の権力を借りて全国を支配しようとした
1586年 太政大臣に就任 —
1587年 キリスト教布教の禁止令 バテレン追放令
1588年 刀狩令 農民から武器を取り上げ、兵農分離を進めた
1590年 天下統一 最後に北条氏(相模国)の小田原城を攻め落とした
1592年 文禄の役 朝鮮出兵。秀吉の死で撤退
1597年 慶長の役 —
1598年 豊臣秀吉 病死 —
1600年 関ヶ原の戦い —
1603年 徳川家康が江戸幕府を開く —

「太閤(たいこう)」は、関白をやめた人後のよび名です。秀吉は晩年「太閤」とよばれたので、太閤検地という名前がつきました。

ポイント:「1588年 刀狩 → 1590年 天下統一」——刀狩が先、天下統一が後。「統一してから武器を取った」と逆に覚えないようにしましょう。

注意:「秀吉は武士の出身ではない」——農民の出とされています。「下剋上の時代の象徴」として、出身を問われる問題が定番です。


10 豊臣秀吉の政策①(太閤検地と刀狩令)

秀吉の政治を一言で言うと、「戦国の時代から下剋上や国同士の争いを少なくし、安定した社会への変革を進めた」ことです。

太閤検地(1582年)

項目 内容
背景 地域により枡などがバラバラで、大名や農民のごまかしも横行。土地の権利が複雑でバラバラだった(律令と荘園などが入り組む)
政策 枡・ものさしの統一。お米の量を測る枡、田畑の大きさ・取れ高などの基準を統一。検地帳に土地の面積・見込まれる石高・百姓の名を記帳
結果 百姓は土地の権利を得たが年貢の義務が発生し、土地を離れることができなくなった。ごまかしができなくなった。公家や寺社の荘園は完全になくなった

検地とは、土地の広さやそこからとれる米の量などを調べることです。秀吉以前にも戦国大名による検地は行われていましたが、秀吉による全国的な規模の検地が太閤検地です。

土地の生産力を、そこからとれる米の量で示したものを石高(こくだか)といいます。1石の米は、約180ℓ(約150kg)です。

刀狩令(1588年)

項目 内容
背景 農民の一揆などが多発していた。農民は戦があれば兵隊として参加することもあり、農業が非効率だった
政策 農民や寺社から刀・弓・槍・鉄砲などの武器を没収した(「大仏を造るための釘などの建材にする」という口実で集めた)
結果 兵農分離——戦いを専門とする武士と、農業を専門とする農民という身分の違いがはっきり分かれた。農民一揆の減少

この刀狩によって、武士と百姓の身分がはっきり区別されました。 また、武士と商家者は大名のいる城下町に集められ、職業と住む場所を変えることが禁じられました。 こうして、身分をもとにした社会の土台ができました。

ポイント:「太閤検地=土地を測る」「刀狩=武器を取る」。2つ合わせて「人と土地を把握し、身分を固定した」——秀吉のねらいは「支配の土台づくり」です。

注意:「太閤検地で荘園が完全になくなった」——公家や寺社が土地の権利を失ったという大きな変化です。室町時代までの荘園制がここで終わる——時代の区切りとして押さえましょう。


11 豊臣秀吉の政策②(経済と宗教)

秀吉は、信長の後を継いで経済政策を進め、宗教については異なる政策を推進しました。

経済政策

信長の政策 秀吉の政策
楽市・楽座(市場の税を免除し「座」の特権をなくした) 信長の政策を引き継ぎ、楽市楽座を全国に広げ、大阪・京都・堺などの商業を保護
関所の通行料廃止 金貨や銀貨を流通。金山・銀山を開発して支配下に置き、天正大判など製造し経済の活性化を促進

全国で自由に同じ通貨で商売できる経済になりました。 特に大阪に多くの物資が集まり、後に「天下の台所」とよばれる経済発展のいしずえができました。

宗教・外交政策

信長の政策 秀吉の政策
キリスト教を保護。宣教師を保護し南蛮貿易を積極的に推奨 キリスト教布教を禁止。宣教師の行動に危機感を覚え、バテレン追放令を出して宣教師を国外に追放

ただし、利益のある南蛮貿易は奨励しました。 そのため徹底的な弾圧とはならず、布教はおさえられたが貿易は継続しました。

この流れが、江戸時代のキリスト教弾圧と鎖国につながっていきます。

秀吉が禁止に踏み切ったきっかけは、長崎でキリシタン大名によって土地が寄進され、教会の土地となったことでした。

ポイント:「経済は信長を引き継ぎ、宗教は信長をひっくり返した」——この1行が秀吉の政策の核心です。「同じ場所で、同じことをする/逆のことをする」と対比で覚えましょう。

注意:「バテレン追放令=キリスト教の全面禁止ではない」——宣教師を追放したが、貿易は続けた。「禁止したが、貿易は継続」という中途半端さが、のちの江戸時代とのちがいです。


12 朝鮮出兵

秀吉は、全国統一をなしとげた後、さらに領土を広げ、東アジアを支配しようと考えました。 フィリピンや台湾には日本に従うように求め、朝鮮に対しては中国(明)を征服するための道を求めましたが、朝鮮はこれに応じませんでした。

そこで秀吉は、肥前国(佐賀県)の名護屋城に本陣を構え、出兵の準備をすすめました。

年 名称 経過
1592年 文禄の役 15万の大軍を送り連戦連勝、漢城(ソウル)や平壌を占領。しかし明が援軍を送り、厳しい寒さと食糧不足により苦戦、講和交渉して一時休戦
1597年 慶長の役 明との講和交渉が決裂し、再び14万の軍を派遣。前回以上に守りが固く、戦いは泥沼化。1598年に秀吉が病死し撤退、終戦

朝鮮側の対応

対応 内容
李舜臣(り しゅんしん) 水軍を率い海戦で秀吉軍を破り、日本の補給ルートを断ち切った
亀甲船(きっこうせん) 船の屋根を板でおおい、鉄のトゲをつけ、敵が乗り移れないように防御を固めた船
義兵(ぎへい) 朝鮮の農民などが各地でゲリラ戦を行い、秀吉軍の進軍をばんだ

戦いの影響

影響 内容
豊臣家の衰退 戦いは重い負担となり、得られるものがなかった。大名同士が対立するようになり豊臣氏の支配が衰えた(豊臣家衰退の原因の一つ)
文化の伝来 朝鮮から焼物の技術が伝来。連れてこられた人々の中に陶工がおり、各地で焼物が発展(有田焼・萩焼・薩摩焼など)

特に有田焼は、17世紀半ばになるとヨーロッパに大量に輸出されるようになりました。

ポイント:「文禄=1592、慶長=1597」。1598年に秀吉が病死して終戦——「秀吉の死が終戦のきっかけ」が重要です。豊臣家衰退の原因の1つとしても問われます。

注意:「朝鮮出兵は、文化を持ち帰ったという“成果”もある」——焼物の技術です。「何も得られなかった」と「技術が伝わった」は両立します。政治・経済では損失、文化では成果——両面で書き分けましょう。


13 信長と秀吉の比較

項目 織田信長 豊臣秀吉
出身・身分 守護代の家柄。尾張国の戦国大名 低い身分の家柄。尾張国の農民
経済政策 楽市・楽座/関所の通行料廃止 楽市楽座・関所の廃止を引き継ぎ、全国に広げる。金貨・銀貨の流通
土地・身分 — 太閤検地(全国統一した基準)/刀狩令(兵農分離の完成)
宗教政策 仏教を弾圧し、キリスト教を保護 当初はキリスト教を推奨したが、のちに布教を禁止
外交 積極的な南蛮貿易 積極的な南蛮貿易(貿易は継続)
達成事項 天下統一は達成できず 天下統一。関白→太政大臣

信長が「壊す」ことで進めた改革を、秀吉が「ルールにする」ことで完成させた——この関係が、2人をセットで覚えるコツです。

ポイント:「信長=破壊(特権を壊す)」「秀吉=建設(制度を作る)」。楽市楽座は信長が始めて秀吉が広げた、太閤検地と刀狩は秀吉が作った——「誰が始めたか」を区別しましょう。

注意:「2人とも南蛮貿易には積極的」——貿易は共通、宗教は正反対。「同じところ」と「ちがうところ」を分けて整理すると、混同しません。


14 桃山文化

織田信長のころに始まり、特に豊臣秀吉のときに栄えて、次の江戸時代の初めごろまで続いた文化を、桃山文化といいます。

桃山文化は、新しくおこった大名や大商人による、豪華で雄大な文化です。 また、仏教の影響がうすい一方で、南蛮文化の影響を強く受けた、活気に満ちた文化でもあります。

分野 内容
建築 城郭建築——安土城(信長)・大阪城(秀吉)・伏見城(秀吉)・姫路城。高くそびえる天守をもつ雄大な城
絵画 障壁画(ふすま絵・びょうぶ絵)。金や銀を下地にしたあざやかな色彩。狩野永徳など
茶道 千利休が質素で静かなわび茶を完成させ、茶道へと大成した。茶器などの陶磁器も発展
芸能 三線を改良して三味線が作られ、浄瑠璃が広まる。出雲の阿国による阿国歌舞伎(のちに歌舞伎へ)

桃山という名前の由来

伏見城のあと地は、のちに多くの桃の木が植えられ、「桃山」とよばれるようになったと伝わります。

世界文化遺産

姫路城(兵庫県)は、現存する城の中でも特に美しく、世界文化遺産にも登録されています。

ポイント:「桃山文化=豪華・雄大・南蛮の影響」。「仏教の影響がうすい」のが、前の室町文化(禅の影響)との大きなちがいです。「寺社ではなく、大名と商人の文化」と覚えましょう。

注意:「千利休の茶は“質素で静か”」——桃山文化全体は豪華なのに、茶道だけはわび茶。「豪華な文化の中に、質素な茶がある」というねじれが問われます。


15 人物整理

人物 立場・よみ キーワード
足利義昭 あしかが よしあき 室町幕府15代将軍。信長と協力するがのちに追放され、幕府滅亡
織田信長 おだ のぶなが 桶狭間・室町幕府滅亡・長篠・安土城・本能寺の変。楽市楽座
今川義元 いまがわ よしもと 駿河国。桶狭間の戦いで信長に敗れる
武田信玄 たけだ しんげん 甲斐国。信玄堤を作る
武田勝頼 たけだ かつより 信玄の子。長篠の戦いで信長に敗れる
明智光秀 あけち みつひで 本能寺の変で信長を攻める。山崎の戦いで秀吉に討たれる
豊臣秀吉 とよとみ ひでよし 関白→太政大臣。太閤検地・刀狩令。天下統一
北条氏 ほうじょうし 相模国。小田原攻めで敗れ、秀吉の天下統一が完成
徳川家康 とくがわ いえやす 江戸幕府第1代将軍(1603年)
フランシスコ=ザビエル — イエズス会宣教師。1549年に鹿児島でキリスト教を伝える
狩野永徳 かのう えいとく 障壁画を大成
千利休 せんの りきゅう 茶道を大成。堺の大商人
出雲の阿国 いずもの おくに 阿国歌舞伎を始める
李舜臣 り しゅんしん 朝鮮の水軍を率い、日本軍の補給路を断つ。亀甲船

ポイント:「信長を倒したのは明智光秀、光秀を倒したのは秀吉」——本能寺の変 → 山崎の戦いの2段階を、人物3人で押さえましょう。


16 年表で通し確認

年 できごと
1467年 応仁の乱
1543年 鉄砲伝来(種子島)
1549年 ザビエル来日(鹿児島)、キリスト教伝来
1560年 桶狭間の戦い
1573年 室町幕府滅亡
1575年 長篠の戦い
1576年 安土城築城
1582年 本能寺の変 → 山崎の戦い/太閤検地/天正遣欧使節がローマへ
1583年 大阪城築城
1585年 秀吉が関白になる
1586年 秀吉が太政大臣になる
1587年 キリスト教の布教禁止(バテレン追放令)
1588年 刀狩令
1590年 豊臣秀吉が全国を統一
1592年 文禄の役
1597年 慶長の役
1598年 豊臣秀吉が病死
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く

ポイント:1582年に3つのできごとが重なります——本能寺の変・太閤検地・天正遣欧使節。「1582年は豊臣秀吉のスタートの年」と覚えると、混乱しません。


17 本体の要点チェック

予習シリーズ本体の要点を、確認問題の形で並べます。答えを右手でかくして挑戦してみてください。

問1 おとろえた守護大名に代わって領地を実力で支配した大名を何といいますか。また、下の身分の者が実力によって上の身分の者を倒す風潮を何といいますか。
→ 答え:戦国大名/下剋上です。

問2 応仁の乱以後のおよそ100年間を、特に何時代といいますか。
→ 答え:戦国時代です。

問3 鉄砲が初めて日本に伝えられた島の名を答えなさい。また、鉄砲を初めて日本に伝えたのは何という国の人でしたか。
→ 答え:種子島(鹿児島県)/ポルトガル人です(1543年)。

問4 キリスト教を初めて日本に伝えた人物の名を答えなさい。また、当時キリスト教の信者は何とよばれましたか。
→ 答え:フランシスコ=ザビエル(1549年)/キリシタンです。

問5 織田信長が行ったことについて答えなさい。 ① 織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼を破った戦いの名を答えなさい。 ② 商工業者に対して市場の税を免除し、座の特権を廃止して商工業の発展をはかった政策を何といいますか。 ③ 天下統一の本拠地として建設した、天守をもつ雄大な城の名を答えなさい。 ④ 織田信長が明智光秀に攻められて自害した事件を何といいますか。
→ 答え:①長篠の戦い(1575年) ②楽市・楽座 ③安土城(滋賀県) ④本能寺の変(1582年)です。

問6 豊臣秀吉が行ったことについて答えなさい。 ① 豊臣秀吉が行った全国的な土地の調査を、特に何といいますか。 ② 秀吉が石山本願寺のあとに建てた城の名を答えなさい。 ③ 秀吉が農民から刀や鉄砲などの武器を取りあげた政策を何といいますか。 ④ 秀吉は2度にわたって朝鮮に大軍を送りました。これらの戦いの名を、起こった順に答えなさい。
→ 答え:①太閤検地(1582年) ②大阪城(1583年) ③刀狩令(1588年) ④文禄の役(1592年)→慶長の役(1597年)です。

問7 織田信長のころに始まり、豊臣秀吉のころを中心に栄えた文化について答えなさい。 ① この文化の名を答えなさい。 ② 現在の兵庫県にあり、世界文化遺産にも登録されている城の名を答えなさい。 ③ 茶道を大成した人物の名を答えなさい。
→ 答え:①桃山文化 ②姫路城 ③千利休です。


18 親子で最終チェック!10問クイズ

Q1. 下剋上とはどのようなことですか。また、なぜ守護大名に代わって戦国大名が力を持ったのか、応仁の乱と関連づけて説明しなさい。

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下剋上とは、下の身分の者が実力によって上の身分の者を倒す風潮のことです。応仁の乱によって多くの守護大名がおとろえ、代わってその家臣や村の侍(国人)などが守護大名を倒して戦国大名になりました。応仁の乱の後、戦国大名は領地を広げるため16世紀の末まで戦い、この約100年間を戦国時代といいます。

Q2. 戦国大名が戦いを勝ちぬくために抱えた3つの課題と、それぞれの対策を答えなさい。

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①外との戦争(動員スピード)→ 軍事強化:強固な城をつくり、家臣を農村から城下町に集める(安土城・小田原城・駿府)。②内部の争い(家臣同士の領地争い)→ 分国法:独自の法律で勝手な争いを禁止し裁く(今川仮名目録・甲州法度之次第)。③資金・食糧不足 → 治水・鉱山開発:洪水を防ぎ田畑を増やし、鉱山から金銀を得る(信玄堤・石見銀山)。

Q3. 鉄砲伝来とキリスト教伝来について、年・場所・伝えた国の人を答えなさい。また、鉄砲が広まった理由を説明しなさい。

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鉄砲=1543年・種子島(鹿児島県)・ポルトガル人を乗せた中国船が漂着。キリスト教=1549年・鹿児島・スペイン人のフランシスコ=ザビエル.鉄砲が広まったのは、種子島の領主が家臣に使い方・つくり方・火薬の調合法を学ばせ、刀鍛冶が複製し、さらに製法を学びに来た者にも技術を教えるよう命じたから。戦国大名に注目され、堺や国友で生産されて急速に広まりました。

Q4. 鉄砲が戦い方・城の作り方・産業に与えた影響を、それぞれ答えなさい。

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①戦い方=一騎打ちから集団戦法へ変わり、長篠の戦いなどで威力を発揮。②城の作り方=鉄砲に備えて堀を深く、石垣を高く、壁を厚くつくるようになった。③産業=堺や国友で鉄砲が製造され、国内で生産されて急速に広まった。

Q5. 南蛮貿易について、貿易相手・主な場所・輸出品・輸入品を答えなさい。また、輸出した銀の産地と、その産出量の特徴を答えなさい。

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相手=ポルトガル人・スペイン人(南蛮人)/場所=平戸・長崎(長崎県)/輸出品=銀/輸入品=鉄砲・火薬、中国産の生糸・絹織物。銀は島根県の石見銀山で多く産出し、当時世界の3分の1の銀を産出しました。かぼちゃ・じゃがいも・すいか・とうもろこし・たばこ・地球儀・めがねなどももたらされました。

Q6. 織田信長の経済政策と宗教政策を、それぞれ背景とともに説明しなさい。

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経済=楽市・楽座と関所の通行料廃止。背景は座が特権を持ち独占していたこと、信長が軍事のために大量の資金や物資を必要としていたこと。市場の税を免除し座の特権をなくし、通行料を廃止したことで、全国から商人が城下町に集まり経済が発展し、他国を圧倒する財力を得ました。宗教=仏教を弾圧しキリスト教を保護。背景は力を持った寺社勢力の政治介入と、鉄砲・火薬などヨーロッパの高い技術力。比叡山延暦寺や一向宗を武力で弾圧する一方、宣教師を保護して南蛮貿易を推奨し、最新の技術と富を得ました。

Q7. 太閤検地の目的と内容、結果を答えなさい。

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目的は年貢を確実に取るため。枡・ものさしを統一し、田畑の面積・見込まれる石高・百姓の名を検地帳に記録しました。結果、百姓は土地の権利を得たが年貢の義務が発生し、土地を離れることができなくなった。大名や農民のごまかしができなくなり、公家や寺社の荘園は完全になくなりました。

Q8. 刀狩令の目的と結果を答えなさい。また、秀吉がキリスト教の布教を禁止した理由と、それでも貿易を続けた理由を説明しなさい。

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刀狩令=農民や寺社から刀・弓・槍・鉄砲を没収(「大仏を造る建材にする」という口実)。目的は一揆を防ぎ農業に専念させることで、結果として兵農分離が進み、武士と農民の身分がはっきり分かれ、農民一揺が減少しました。キリスト教禁止の理由は、長崎でキリシタン大名が土地を教会に寄進したことなど宣教師の行動への危機感(バテレン追放令・1587年)。ただし南蛮貿易には利益があったため貿易は奨励し、徹底的な弾圧とはなりませんでした。

Q9. 朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)について、年・経過・朝鮮側の抵抗・戦いの影響を答えなさい。

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文禄の役=1592年、15万の軍で漢城(ソウル)や平壌を占領したが、明の援軍・寒さ・食糧不足で苦戦し講和して休戦。慶長の役=1597年、14万の軍を派遣したが守りが固く泥沼化し、1598年に秀吉が病死して撤退。朝鮮側は李舜臣の水軍と亀甲船が補給路を断ち、義兵がゲリラ戦で抵抗しました。影響は、豊臣家衰退の原因の一つになった一方、朝鮮から焼物の技術が伝わり有田焼・萩焼・薩摩焼などが発展しました。

Q10. 信長と秀吉を、出身・経済政策・宗教政策・達成事項の4点で比較しなさい。

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出身=信長は守護代の家柄で尾張の戦国大名、秀吉は低い身分の家柄で尾張の農民。経済=信長は楽市・楽座と関所の通行料廃止を始め、秀吉はそれを全国に広げて金貨・銀貨を流通させた(加えて太閤検地・刀狩令)。宗教=信長は仏教を弾圧しキリスト教を保護、秀吉は当初推奨したがのちに布教を禁止した(2人とも南蛮貿易には積極的)。達成事項=信長は天下統一を達成できず、秀吉は1590年に天下統一を果たし関白・太政大臣になった。


19 まとめ:取り組み方のコツ

1. 「信長=壊す、秀吉=作る」で2人を分ける 信長は座・寺社の特権を壊し、秀吉は検地・刀狩でルールを作った。楽市楽座は信長が始めて秀吉が広げた——「始めた人」と「広げた人」を区別しましょう。

2. 「1543・1549」は場所とセットで 1543年=鉄砲=種子島(ポルトガル人)/1549年=キリスト教=鹿児島(スペイン人)。年・場所・国の3点セットで覚えると、記述問題でも迷いません。

3. 秀吉の年号は「1582→1588→1590」の順で 1582年 太閤検地 → 1588年 刀狩令 → 1590年 天下統一。「測る → 武器を取る → 統一する」の順番が、秀吉の支配の作り方そのものです。

4. 文化は「豪華・雄大・南蛮」の3語 桃山文化は寺社ではなく大名と商人の文化。障壁画=狩野永徳/茶道=千利休/歌舞伎=出雲の阿国——人物3人をセットで覚えましょう。

最後に:安土桃山時代は、「乱れた世の中を、実力者が片づけていく」時代です。信長が古い特権を壊し、秀吉が新しいルールを作り、家康がそれを引き継いで260年の平和をつくる——3人のリレーとして見ると、この単元が1つの物語になります。テスト前は、この記事の年表・比較表・クイズ10問を親子で回してみてください。本日の伴走、おつかれさまでした!

 

「読んでわかった」を「自分で答えられる」に!暗記カードで仕上げの復習

「楽市楽座は信長? 秀吉?」「太閤検地と刀狩は、何のために行ったの?」

記事を読んで理解したつもりでも、いざ聞かれると迷ってしまう。そんなときは、親子で問題を出し合いながら確認してみましょう。

TT1-Learningの暗記カードは、1枚に複数の問題をまとめ、知識を関連づけて覚えられるように工夫しています。答えられなかったカードを繰り返せば、限られた復習時間も苦手なところに使えます。

今回の「安土桃山時代」は、5年下 社会・理科 第6〜9回セットに収録。社会は鎌倉・室町から江戸時代の入り口まで、前後の時代とあわせて復習できます。カット・穴あけ済み、リング付きです。

安土桃山時代を含む暗記カード「5年下 社会・理科 第6〜9回セット」を見る

信長と秀吉の違いを、図と表でも整理したい方へ

「文章だけだと、人物・政策・年号が頭の中でごちゃごちゃになる」というお子さんには、図解PDFもおすすめです。

第8回「安土桃山時代」のPDFでは、時代全体の流れから信長と秀吉の政策比較、桃山文化、人物・年表整理まで、図や表でまとめています。

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「読んだらわかった。でも翌日には忘れてしまう…」を防ぐには?

塾から帰ったあと、何から復習すればいいか迷っていませんか? 付箋に思い出せる用語を書き出し、テキストで確認・整理する30分の復習法をご紹介。「信長と秀吉の政策」を自分の言葉で説明できるか、今日の学習から試してみてください。

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