予習シリーズ 小5社会(下)第3回「奈良時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

予習シリーズ 小5社会(下)第3回「奈良時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

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小5社会(下)の第3回は「奈良時代」です。前回の飛鳥時代で「天皇を中心とする国家」のかたちができ、今回はそこから大宝律令→平城京遷都→聖武天皇の仏教政策→天平文化まで、日本の古代国家が最も整った時代を学びます。

この回の最大の特徴は、「制度(しくみ)」と「年号」が主役であることです。律令・二官八省・租庸調・班田収授の法・三世一身の法・墾田永年私財法……と、カタカナ言葉のような用語が一気に増えます。そして「723年 三世一身の法 → 743年 墾田永年私財法」のように、20年間の制度改革の流れが問われます。

親子で取り組むときは、「なぜその制度がつくられたのか」=農民の不満という一本の線でつなぐのがいちばん効率的です。バラバラに覚えると混乱しますが、「重い税 → 逃げ出す農民 → 開墾を進めたい → 法をゆるめる → 荘園ができる」という流れで覚えると、年号も自然についてきます。


1 今回の単元、7つの柱

まず全体像をつかみましょう。第3回の出題は、大きく次の7分野に分かれます。

分野 おさえる内容 最優先チェック
律令政治 701年 大宝律令、律と令のちがい、二官八省 律=刑罰/令=政治のしくみ
地方のしくみ 国・郡・里、国司・郡司・里長、太宰府 国司は都から派遣/郡司は地方の豪族
土地制度 班田収授の法、口分田、条里制、三世一身の法、墾田永年私財法 723年→743年の流れ、荘園まで
税・労役・兵役 租・庸・調、雑徭、兵士・衛士・防人 租は女子も負担/防人は東国の兵士
平城京 710年遷都、唐の長安、朱雀大路、東市・西市、木簡・貨幣 694年藤原京→710年平城京→794年平安京
聖武天皇と仏教 741年国分寺、743年大仏、752年開眼供養、行基、光明皇后 国分寺=741年/大仏=743年/完成=752年
天平文化 古事記・日本書紀・風土記・万葉集、正倉院、遣唐使と鑑真 712年古事記/720年日本書紀

ポイント:この回は「人ではなく制度」が主役の回です。まずこの表を1行ずつ声に出して、「何年になにを決めたか」を確認してみてください。


2 全体の流れをつかむ

細かい話に入る前に、奈良時代がどう始まり、どう終わるかを確認します。

時期 主なできごと
飛鳥時代 645年 大化の改新 → 701年 大宝律令 → 708年 和同開珎(飛鳥時代のうち)
奈良時代 710年 平城京に都を移す(元明天皇) → 聖武天皇が仏教の力で政治の安定をはかる → 天平文化が栄える
平安時代へ 784年 長岡京 → 794年 平安京に都を移す(桓武天皇)

710年から794年までが奈良時代です。そして奈良時代で最も文化が栄えたのは聖武天皇のころで、そのころの元号が「天平(てんぴょう)」でした。だから奈良時代の文化を天平文化とよびます。

ポイント:都のうつりかわりは「藤原京(694年・持統天皇)→ 平城京(710年・元明天皇)→ 長岡京(784年)→ 平安京(794年・桓武天皇)」の4つ。「710=なんと(710)きれいな平城京」の語呂で、まず年号を固定しましょう。


3 奈良時代の政治①:大化の改新から大宝律令へ

唐のような国をめざして

645年の大化の改新で、日本は豪族中心の政治から、天皇中心の政治へとかじを切りました。そして唐(とう)のような律令政治を行おうとして、藤原不比等(ふじわらのふひと)らが中心となって制度を整えました

藤原不比等は、大化の改新で活躍した中臣鎌足(=藤原鎌足)の子です。

701年・大宝律令

701年唐の律令にならって大宝律令(たいほうりつりょう)が完成しました。これによって、大化の改新がめざした天皇を中心とする政治のしくみが完成しました。

用語 意味
律(りつ) 刑罰についてのきまり
令(りょう) 国の政治のしくみなどを定めたきまり

注意「律=刑罰」「令=政治のしくみ」。漢字が似ているので入れ替え問題が定番です。「律は人を罰する、令は国を動かす」と語呂で区別しましょう。

大宝律令がめざしたもの

大宝律令には、豪族などがもっていた土地や人民を、国家のものとするという考え方が反映されていました。これが公地公民です。

ポイント:大化の改新(645年)から大宝律令(701年)まで、約56年かかっています。「改革を決めた年」と「制度が完成した年」は別もの、と意識しておきましょう。


4 奈良時代の政治②:律令政治のしくみ(二官八省と地方)

中央のしくみ:二官八省

律令政治では、天皇のもとに二官と八省がおかれました。

区分 役所 役割
二官 神祇官(じんぎかん) 神をまつる仕事
太政官(だいじょうかん) 一般の政治
八省 中務省(なかつかさしょう) 天皇に仕える。秘書的な役割
式部省(しきぶしょう) 学問や教育を担当
治部省(じぶしょう) 仏教・外交・儀式などを担当
民部省(みんぶしょう) 戸籍・田地・租税の管理
兵部省(ひょうぶしょう) 軍事を担当
刑部省(ぎょうぶしょう) 裁判・刑罰を担当
大蔵省(おおくらしょう) 財政・出納を管理
宮内省(くないしょう) 宮廷の雑務、宮中の仕事

そして太政官の配下に、太政大臣・左大臣・右大臣という三つの大臣がおかれ、一般の政治をとりしきりました

ポイント二官=神祇官+太政官。「神の役所と、政治の役所」と分けて覚えると、八省の名前がごちゃごちゃになりません。神祇官は神にまつわる仕事をとりおこなった、という一言もよく問われます。

地方のしくみ:国・郡・里

地方は国(くに)・郡(ぐん)・里(り)に分けられ、それぞれに役人がおかれました。

区分 役職 おかれた人
国司(こくし) 都から派遣された役人
郡司(ぐんじ) その地方の豪族が任命された
里長(さとおさ) 有力な農民。おもな仕事は税の取り立て

さらに、九州には特別に太宰府(だざいふ)がおかれ、九州の政治・外交・防衛を担当しました。

注意国司=都から派遣/郡司=地方の豪族/里長=有力な農民。この3つの「誰がなったか」は並べ替え・穴埋めの定番です。また太宰府が特別におかれた理由は「外からの防衛」。ここも理由まで聞かれます。


5 律令政治③:税・労役・兵役

農民が負担した税:租・庸・調

納めるもの 納める先 対象
(そ) (口分田の収穫の約3% 国司 → 中央へ 男女(女子も負担)
(よう) (都での労役の代わり) 中央 21〜60歳の男子
調(ちょう) 特産物 中央 21〜60歳の男子

注意女子が負担したのは「租」だけ。口分田は女子にも与えられたので、租は女子にも課せられました。一方で庸と調は男子だけです。「女子は租だけ」と、はっきり区別しましょう。

労役:雑徭(ぞうよう)

労役 内容 期間 対象
雑徭(ぞうよう) 国の労働 年間60日以内 21〜60歳の男子

兵役:兵士・衛士・防人

兵役 内容 期間 対象
兵士(へいし) 国の兵役 数年間 成年男子3人につき1人
衛士(えじ) 都(中央)の守り 1年間 兵士から選ばれる
防人(さきもり) 九州(太宰府)の守り 3年間 兵士から選ばれる。とくに東国の兵士

ポイント衛士=都の守り(1年)/防人=九州の守り(3年・東国)。似ているので必ずセットで。防人は東国から選ばれたという点も重要で、「都から遠い東国の人々が、はるばる九州まで行かされた」という負担の重さが、当時の農民の苦しみにつながります。

注意庸=都で10日間働く代わりに布。ここも「10日」という数字が問われます。雑徭=年間60日とセットで数字を覚えましょう。


6 律令政治④:土地制度と荘園

この回のいちばんの山場です。「制度がだんだんゆるくなっていく流れ」をつかみましょう。

班田収授の法(はんでんしゅうじゅほう)

朝廷は6年ごとに戸籍(こせき)をつくり、それにもとづいて6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)を与えました

項目 内容
男子 2段(約23a)
女子 男子の3分の2
期間 6年ごとに更新
条件 死ぬと国に返す(子には継承できない)

口分田を農民に支給しやすくするために、土地を四角く区画しました。これを条里制(じょうりせい)といいます。唐の制度を参考につくられたしくみです。

ポイント「6歳以上」「6年ごと」「男子2段・女子は3分の2」「死んだら返す」の4点セット。とくに女子は3分の2は数値問題の定番です。

制度の問題点

この制度は、時間がたつと次の3つの問題を生みました。

  1. 税負担が重く、逃げ出す農民があらわれた
  2. 人口が増えて、口分田が不足した
  3. 開墾しても、死ぬと国に返すので開墾が進まない

注意:農民が重い負担から逃れるため、戸籍に女子と偽ったり、年齢をいつわる例まであらわれました。「制度を守るために、農民がウソをつくようになった」という点は、記述問題でも問われます。

723年・三世一身の法

そこで723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)が出されました。

  • 内容:新しく開墾した土地は、3代まで私有できる
  • しかし:それでも新しい田の開墾は一向に進まなかった

743年・墾田永年私財法

そこで743年聖武天皇が定めたのが墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)です。

  • 内容:新しく開墾した土地は、永遠に私有できる
  • 結果:貴族や寺社が私有地を増やし、「荘園(しょうえん)」となっていった

ポイント723年 → 743年はちょうど20年「3代まで(三世一身)→ 永遠に(永年)」というゆるくなり方の順番を、必ず言えるようにしましょう。そして墾田永年私財法が後の荘園につながる——これがこの単元の最大のゴールです。

注意口分田は「死んだら国に返す」/墾田永年私財法で開墾した土地は「永遠に自分のもの」。この2つの土地のちがいを混同しないように。「もらった田」と「自分で開いた田」は別物です。


7 平城京と都のくらし

710年・平城京遷都

710年元明天皇(げんめいてんのう)が都を平城京(へいじょうきょう)に移しました。

  • 平城京は唐の都・長安(ちょうあん)にならってつくられた計画的な都
  • 都の中央に朱雀大路(すざくおおじ)が通り、北の端に平城宮(へいじょうきゅう)がありました。
  • 都は右京・左京に分けられ、さらに外京(げきょう)がつくられました。
  • 東市(ひがしのいち)・西市(にしのいち)という二つの市場がおかれました。
  • 平城京には約10万人がくらしていたと考えられています。
建物・通り ポイント
朱雀門(すざくもん) 平城宮の南の正門
朱雀大路 都の中央を南北に走る大通り
右京・左京・外京 都の区画
東市・西市 二つの市場
東大寺・唐招提寺・正倉院 平城京とその周辺の寺院・建造物

ポイント東大寺平城京の東唐招提寺平城京の南正倉院東大寺の中にあります。地図問題では「東大寺・唐招提寺・正倉院の位置」がそのまま問われます。「東の大寺、南の唐招提寺」と位置で覚えましょう。

都と地方を結ぶ道

都と地方の国府(国司の役所があるところ)を結ぶ道路が整えられ、役人の行き来のため、約16kmごとに駅(駅家・えきか)がもうけられました。駅には馬が用意されていました。

木簡(もっかん)と貨幣

調や庸など地方から運ばれた産物には、木簡(もっかん)とよばれる木の札がつけられました。

  • 役人は小刀で表面を削って何度も使ったため、小刀と筆を必ず持っていた
  • そこから、筆の吏(り=役人)、つまり刀筆(とうひつ)の吏とよばれました。
  • 木簡を調べると、どのようなものが納められていたかがわかります。

貨幣(かへい)もつくられました。708年には和同開珎(わどうかいちん)が出され、それ以前に富本銭(ふほんせん)もつくられていました。

  • 貨幣は都とその周辺で使われそれ以外の地方では稲や布がお金の代わりに用いられました。

注意和同開珎=708年。これは平城京遷都(710年)よりも前です。「都を移す2年前に、お金がつくられた」と順番で覚えましょう。


8 聖武天皇の仏教政策

なぜ仏教だったのか

奈良時代は、災害・ききん(不作)・伝染病(天然痘)・貴族の反乱などが続き、世の中に大きな不安が広がっていました

そこで聖武天皇(しょうむてんのう)は、仏教の力で問題を鎮め、政治を安定させようとしました。

ポイント「世の中が荒れる → 仏教の力で立て直す」。理由を先に押さえると、次の政策がすんなり頭に入ります。聖武天皇は740年から6年の間に4回も都を移したことでも知られています。

3つの仏教政策

政策 内容
国分寺・国分尼寺の建立 741年 全国の国ごとに国分寺と国分尼寺を建てる命令を出した
施薬院・悲田院の建立 聖武天皇の皇后光明皇后(こうみょうこうごう)が、病人に薬を与える施薬院(せやくいん)孤児や貧しい人を助ける悲田院(ひでんいん)を設置
東大寺と大仏の建立 743年 大仏建立の詔(みことのり)を出す → 752年、大仏が完成し開眼供養(かいげんくよう)が行われた

大仏づくりを支えた人々

  • 僧の行基(ぎょうき)大仏づくりを支援しました。
  • 渡来人の子孫が技術指導を行いました。
  • 全国から物資と人が集まり、建造のために働きました

大仏は国分寺である東大寺につくられました。現存する木造建築としては世界最大級です。

注意国分寺=741年/大仏の詔=743年/大仏完成=752年。この3つの年号は必ず整理してください。とくに741年と743年は2年しかちがわないので、「国分寺が先、大仏があと」と順番で覚えましょう。

光明皇后と藤原氏のつながり

光明皇后藤原不比等の娘であり、中臣鎌足(藤原鎌足)の孫にあたります。仏教をあつく信仰し、施薬院・悲田院をつくって貧しい病人や孤児を救いました

ポイント中臣鎌足 → 藤原鎌足 → 藤原不比等(子)→ 光明皇后(娘)。一家のつながりを線でつなぐと、人物問題が一気に整理できます。

仏教の広まりと律令政治の乱れ

はじめは僧が政治に参加することを禁じられていましたが、しだいに政治に口出しする僧があらわれ、律令政治は次第に乱れていきました。とくに道鏡(どうきょう)は、僧でありながら政治権力をもった人物として知られています。

注意行基=大仏づくりを支援した僧/道鏡=政治に口出しした僧。この2人はセットで問われます。「善い行基・政治に口を出した道鏡」と区別しましょう。


9 外交①:遣唐使と航路の変化

630年・第1回遣唐使

朝廷は中国の進んだ制度や文化を取り入れるため630年に第1回の遣唐使として犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)らを送りました。

618年には隋が滅んで唐が建国され、日本は隋から唐へと、交流の相手を変えていきました。

航路の変化:北路から南路へ

時期 航路 内容
はじめ 北路 朝鮮半島の沿岸を通る航路
のち 南路 新羅が朝鮮半島を統一して関係が悪化すると、東シナ海を横断する南路に変更

当時、長い時間をかけて海を渡ることは大変な負担をともないました。

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)

  • 遣唐使として唐にわたり、唐の試験に合格して役人となった
  • 帰国できずに唐に留まり、そのまま一生を過ごした
  • 望郷の句(故郷を思う歌)をよんだことで知られる。

ポイント犬上御田鍬=第1回遣唐使(630年)/小野妹子=遣隋使(飛鳥時代)「隋=小野妹子、唐=犬上御田鍬」と、セットで区別しましょう。


10 外交②:鑑真の来日

754年・鑑真が来日

唐の高僧・鑑真(がんじん)は、日本へ渡るために何度も失敗し、失明もしましたが、6度目にようやく来日しました(754年)。

  • 僧が守るべき決まりである戒律(かいりつ)を日本に定めました。
  • 759年には唐招提寺(とうしょうだいじ)を開きました。

注意754年=鑑真の来日/759年=唐招提寺「何度も失敗」「失明」「6度目」というエピソードまでセットで問われます。

ポイント唐招提寺は「鑑真が建立した寺」東大寺は「聖武天皇が建立を命じた寺」建てた人物と目的をセットで整理しましょう。


11 天平文化①:書物と和歌

天平文化とは

奈良時代の文化天平文化(てんぴょうぶんか)といいます。特色は次の2つです。

  1. 遣唐使によって唐の文化が伝わり、その影響を強く受けた文化であること。
  2. 天皇が仏教を保護したため、仏教を大切にした貴族中心の文化であること。

歴史書と地誌

国のしくみが整い、国際的な交流もさかんになると、天皇が日本を治めるようになったいわれをまとめる動きが起こりました。

書物 内容
古事記(こじき) 712年 太安万侶(おおのやすまろ)が編纂。日本最古の歴史書
日本書紀(にほんしょき) 720年 舎人親王(とねりしんのう)らが編纂。日本最初の正史
風土記(ふどき) 713年 朝廷が各地の由来や産物などをまとめるよう命じたもの。現存するのは「出雲国風土記」だけ
万葉集(まんようしゅう) 759年ごろ 大伴家持(おおとものやかもち)らが編纂。日本最古の歌集

万葉集には、天皇から一般の人々まで、さまざまな身分の人がよんだ約4500首の和歌が収められています。山上憶良(やまのうえのおくら)が、重い税に苦しむ農民のつらい気持ちをよんだ「貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)」も収められています。

ポイント古事記・日本書紀には神話が収録されており、宮崎県には太陽の女神(アマテラス)が天の岩戸に隠れた神話に基づく神楽(高千穂神楽)があります。「古事記=神話」というキーワードも問われます。

注意712年=古事記/713年=風土記の命令/720年=日本書紀。この3つは年号が近く、順番も入れ替わりやすいので要注意。「古事記が先、日本書紀があと」と押さえましょう。

ポイント:奈良時代にはまだかな文字がなく万葉集はすべて漢字で表現されていました(万葉仮名)。この点もよく出題されます。


12 天平文化②:建築と正倉院

正倉院(しょうそういん)

752年東大寺の正倉院がつくられました。

  • 聖武天皇が使っていた日用品を中心に、約9000点の品物が収められていました。
  • 唐やインド・西アジアなどの文化の影響を受けた品々が保存されています(シルクロードを通って伝わった)。
  • 校倉造(あぜくらづくり)とよばれる風通しの良い作りで壁がつくられています。
  • 高床式湿気を防ぐ構造で、宝物を桐(きり)の箱に入れるなどの対策も見られます。

ポイント校倉造は釘を使わず、校木(あぜき)とよばれる三角柱の木材を組んで壁をつくる方法です。「湿気を防ぐ工夫」校倉造・高床・桐の箱の3点セットとして問われます。

注意:正倉院の宝物にはインドや西アジアの影響を受けたものがあります。それはヨーロッパと中国を結ぶ交通路・シルクロードを通ってやってきたと考えられています。「シルクロード=シルク(絹)の道」という名前の由来も確認しましょう。

代表的な建築

建物 内容
東大寺(とうだいじ) 743年 聖武天皇が建立を命じた奈良の大仏がある寺。現存する木造建築としては世界最大級
国分寺(こくぶんじ) 741年 聖武天皇が国ごとに建立することを指示した寺
唐招提寺(とうしょうだいじ) 759年 鑑真が建立した寺

ポイント東大寺・国分寺・唐招提寺の3つは、「誰が建てたか」で区別しましょう。聖武天皇(東大寺・国分寺)と鑑真(唐招提寺)。この対応は記述問題でも頻出です。


13 人物と年表の総整理

人物整理

人物 おさえること
中臣鎌足(藤原鎌足) 645年、大化の改新で中大兄皇子とともに活躍。藤原氏の始まり
藤原不比等(ふひと) 中臣鎌足の子大宝律令の制定に関わる
元明天皇 710年、都を平城京に移す
聖武天皇 国分寺・国分尼寺の建立(741年)東大寺の大仏建立(743年)
光明皇后 聖武天皇の皇后藤原不比等の娘(=中臣鎌足の孫)。施薬院・悲田院を建立
行基(ぎょうき) 大仏建立を支援した僧
道鏡(どうきょう) 政治に口出しした僧。律令政治の乱れをあらわす
犬上御田鍬 630年、第1回遣唐使として派遣
阿倍仲麻呂 遣唐使として唐にわたる。唐の試験に合格し役人となる。帰国できず望郷の句をよむ
鑑真 6度目の渡航で来日(754年)唐招提寺を開く。失明
桓武天皇 794年、都を平安京に移す

ポイント中臣鎌足 → 藤原不比等 → 光明皇后一族のつながりです。系図を書いて確認すると、人物問題が一気に楽になります。

年表整理

できごと 時代
630年 第1回遣唐使(犬上御田鍬) 飛鳥
645年 大化の改新 飛鳥
701年 大宝律令が完成 飛鳥
708年 和同開珎 飛鳥
710年 平城京に都を移す(元明天皇) 奈良
712年 古事記 奈良
713年 風土記を作る命令 奈良
720年 日本書紀 奈良
723年 三世一身の法 奈良
741年 国分寺をつくる詔 奈良
743年 墾田永年私財法東大寺の大仏をつくる詔 奈良
752年 東大寺大仏の開眼供養/正倉院 奈良
754年 鑑真が来日 奈良
759年 唐招提寺万葉集 奈良
784年 長岡京に都を移す 奈良
794年 平安京に都を移す(桓武天皇) 平安

ポイント:並べ替え問題は、この表を上から順に言えるようにするだけでほぼ対応できます。とくに「712 → 713 → 720」「723 → 741 → 743 → 752 → 754 → 759」の2かたまりは、口に出して何度も確認しましょう。


14 親子で最終チェック!10問クイズ

Q1. 701年に唐の律令にならってつくられ、天皇を中心とする政治のしくみが完成した法を何といいますか。

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大宝律令(たいほうりつりょう)です。「律」は刑罰についてのきまり、「令」は政治のしくみなどを定めたきまりです。

Q2. 律令政治のしくみで、神をまつる「神祇官」と一般の政治をとりしきる「太政官」がおかれました。このしくみを何といいますか。

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二官八省(にかんはっしょう)です。太政官の配下には、太政大臣・左大臣・右大臣などの役職がおかれました。

Q3. 地方を国・郡・里に分けたとき、都から派遣された役人と、地方の豪族が任命された役人をそれぞれ何といいますか。

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都から派遣されたのが国司(こくし)、地方の豪族が任命されたのが郡司(ぐんじ)です。里をおさめる里長には有力な農民が任命されました。

Q4. 農民に課せられた税のうち、女子も負担した税は何ですか。

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租(そ)です。口分田の収穫の約3%の稲を納めました。口分田は女子にも与えられたため、租は女子にも課せられましたが、庸や調は男子だけでした。

Q5. 743年に出された、新しく開墾した土地を永遠に私有してよいとする法を何といいますか。

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墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)です。これによって、貴族や寺社が私有地を増やし、のちの「荘園(しょうえん)」となっていきました。

Q6. 710年に唐の都・長安にならってつくられた都を何といいますか。

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平城京(へいじょうきょう)です。元明天皇が都を移しました。中央には朱雀大路が通り、東市・西市という二つの市場がおかれました。

Q7. 聖武天皇が、社会の不安を仏教の力で鎮めるために、全国の国ごとに建てるよう命じた寺は何ですか。

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国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺です(741年)。743年には東大寺に大仏をつくる詔も出し、752年に完成して開眼供養が行われました。

Q8. 奈良時代に栄えた、唐や仏教の影響を強く受けた貴族中心の文化を何といいますか。

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天平文化(てんぴょうぶんか)です。聖武天皇のころの元号「天平」から名前がついています。

Q9. 712年に編纂された日本最古の歴史書と、720年に編纂された日本最初の正史をそれぞれ答えなさい。

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712年は古事記(こじき)、720年は日本書紀(にほんしょき)です。また713年には各地の由来や産物をまとめる風土記をつくる命令も出されています。

Q10. 何度も渡航に失敗し失明しながらも、754年に来日して唐招提寺を開いた唐の僧は誰ですか。

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鑑真(がんじん)です。僧が守るべき決まりである戒律(かいりつ)を日本に伝えました。


15 まとめ:取り組み方のコツ

1. 制度の変化を「一本の線」でつなぐ 「重い税 → 逃げ出す農民 → 開墾が進まない → 三世一身の法(723年)→ 墾田永年私財法(743年)→ 荘園」。制度は農民の不満への対策として出されている、という因果で覚えましょう。年号も自然についてきます。

2. 年号の「かたまり」で確認する 「712古事記 → 713風土記 → 720日本書紀」「723 → 741 → 743 → 752 → 754 → 759」。ひとつずつ覚えず、かたまりで口に出すのが得点への近道です。

3. 「誰が・何を・どこで」でセットにする 国司=都から派遣/郡司=地方の豪族東大寺=聖武天皇/唐招提寺=鑑真行基=大仏を支援/道鏡=政治に口出し。この回は似た役割の区別が中心です。

4. 土地のちがいを図で書く 口分田(もらった田・死んだら返す)/墾田(自分で開いた田・永遠に自分のもの)は、必ず図にして書き分けましょう。ここを混同すると、記述問題で大きく失点します。

最後に:奈良時代は、日本の古代国家のしくみがもっとも整った時代です。「豪族の時代から、制度で国を動かす時代へ」という大きな流れを、子どもに一言で説明できたら大成功。テスト前は、この記事の年表とクイズを親子で回してみてください。本日の伴走、おつかれさまでした!

 

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      教科書や演習問題では、何が起きたのか、どういう内容なのかはわかってもこの因果関係は一見してわかりにくい!

      そこで、ぱっと見でわかるように図解してわかりやすい解説ファイルを用意しました!
      こちらは1つ200円で販売中!
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