予習シリーズ 小5社会(下)第4回「平安時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

予習シリーズ 小5社会(下)第4回「平安時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

小5社会(下)の第4回は「平安時代」です。第3回「奈良時代」で律令・墾田永年私財法・荘園の始まりを学び、その流れが平安時代にどう育っていくかを見る回です。

この回の最大のポイントは、平安時代は「4つの転換」が同時に進んだ時代だということです。①政治の主役が藤原氏 → 上皇 → 武士と移る、②仏教が国家のものから貴族・庶民のものへ広がる、③文化が唐の模倣から日本風(国風文化)へ変わる、④荘園が広がって国の税収が減る——この4本の流れが同時に進みます。

親子で取り組むときは、「誰が主役か」を軸に人物カードを並べるのがおすすめです。桓武天皇 → 藤原良房 → 藤原基経 → 藤原道長 → 藤原頼通 → 白河上皇 → 平清盛の順に、「その人が何をしたか一言」を言えるようにすると、並べ替え問題が一気に楽になります。


1 今回の単元、6つの柱

まず全体像をつかみましょう。第4回の出題は、大きく次の6分野に分かれます。

分野 おさえる内容 最優先チェック
平安京と桓武天皇 長岡京・平安京への遷都、東北征討、仏教の切り離し 784年 長岡京/794年 平安京
藤原氏の摂関政治 摂政・関白、勢力拡大の3つの方法、道長と頼通 866年 良房=初の摂政/887年 基経=初の関白
荘園と地方の乱れ 寄進、不輸の権・不入の権、国司の不正 不輸の権=税を納めなくてよい/不入の権=立入りを断れる
武士のおこりと成長 将門の乱・純友の乱、前九年・後三年の役、源氏 将門=東国/純友=西国
院政と平氏の政治 院政、保元の乱・平治の乱、平清盛、日宋貿易 1156年 保元/1159年 平治
仏教と国風文化 最澄・空海、阿弥陀信仰、かな文字と文学、寝殿造・大和絵 ひらがな=漢字をくずした形/カタカナ=漢字の一部

ポイント:この回は人物名と年号がセットで問われる単元です。まずこの表の6分野を1行ずつ声に出し、「どの時代の話か」を確認してみてください。


2 平安京への遷都と桓武天皇の政治

都の移り変わり

都 遷都した年 天皇
藤原京 694年(696年とする資料も) 持統天皇
平城京(奈良) 710年 元明天皇
長岡京 784年 桓武天皇
平安京 794年 桓武天皇

794年からおよそ1100年間(源頼朝が征夷大将軍となるまで)、平安京は日本の都であり続けました。

注意:長岡京は10年間しか続かなかったため、「桓武天皇=長岡京と平安京の2つを移した」とおさえます。「784年=長岡京」「794年=平安京」と、年号とセットで覚えましょう。

桓武天皇の3つの政治

政策 内容
① 地方政治の立て直し 国司(地方の役人)への監督を厳しくした。一方、農民の兵役の義務を廃止して負担を軽くした
② 東北地方の制圧 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷(えみし)の首長アテルイを降伏させた
③ 仏教勢力の切り離し 道鏡のように政治に口出しする僧が現れ、寺院の勢力が強くなりすぎたため、平安京に寺院をつくることを禁止し、都の外に寺院を建てさせた
  • 征夷大将軍は、もともと東北地方を平定するために置かれた役職です。のちに鎌倉時代の源頼朝もこの役職につくことになります。
  • 東北征討は長引き、人や物の費用がかさみ、さらに平安京の造営もあって、桓武天皇はこれらの事業をやめることにしました。

ポイント:桓武天皇=「都を移した」「農民の負担を減らした」「東北を平定した」「仏教を政治から切り離した」の4点セット。とくに「平安京に寺院をつくらせなかった」は、次の仏教の話につながる重要ポイントです。

注意:坂上田村麻呂=征夷大将軍/アテルイ=蝦夷の首長。「どちらが征夷大将軍か」が入れかえで出題されます。


3 藤原氏の摂関政治

摂政と関白

役職 内容
摂政(せっしょう) 幼い天皇に代わって政治を行う
関白(かんぱく) 成人した天皇の補佐を行い、政治を行う

この2つを独占して政治の実権を握ることを摂関政治といいます。

藤原氏のあゆみ

年 人物 できごと
645年 中臣(藤原)鎌足 大化の改新。蘇我氏を倒し、勢力を拡大
— 藤原不比等 律令制度をつくる
866年 藤原良房 初めて摂政になる
887年 藤原基経 初めて関白になる(良房の子)
1016年 藤原道長 摂政となる。全盛期
— 藤原頼通 道長の子。平等院鳳凰堂を建立

藤原氏が最も栄えたのは、11世紀前半の道長とその子の頼通のころでした。

藤原氏の勢力拡大の3つの方法

  1. 自分の娘を天皇の妃にする(生まれた子を天皇にして、親戚関係を強める)。
  2. 豪族から荘園を寄進させ、収入源にする。
  3. 有力な貴族を追放した(菅原道真も太宰府に追放された)。

道長がよんだ句

この世をば わが世とぞ思う 望月の かけたることも なしと思えば
(意味:まるで自分の世の中のようだ。欠けたところのない満月のように、わたしは満足している。)

ポイント:「866年=良房で初の摂政」「887年=基経で初の関白」。この2つの年号は、人物とセットで必ず出題されます。「良房→基経は親子」と整理しましょう。

注意:菅原道真は「追放された側」です。道真は894年に遣唐使の停止を提案した人物でもあり、死後は「学問の神様」として天神・天満宮にまつられました(太宰府天満宮が有名)。


4 荘園の広がりと地方の乱れ

荘園が増えたしくみ

10世紀になると、地方の豪族たちは、自分の土地を税から守ろうとして、荘園を都の有力貴族や寺社に寄進しました。そして自分は荘園の管理人(荘官)として土地を支配し続け、農民から取り立てた税の一部を寄進先に納めました。

2つの重要な権利

権利 内容
不輸の権(ふゆのけん) 荘園が税を納めなくてもよい権利
不入の権(ふにゅうのけん) 国司が荘園に立ち入ることを断れる権利

荘園が増えて税が入らなくなると、国の収入は減っていきました。

地方の乱れ

  • 地方は国司に任せきりでした。国司は決められた税だけを都に納めればよいとされたため、不正を働く国司が増え、地方の政治は乱れました。
  • 国司の中には、自分が決めた税以外のものを取り立てる者もいました。このため都に逃げ出す農民や、荘園に逃げ込む農民が現れました。
立場 内容
国司 税を都に納める役人。不正を働く者や、余分に取り立てる者が増えた
豪族・農民 荘園を有力貴族や寺社に寄進し、荘官として土地を支配し続けた

ポイント:「税を納めなくてよい=不輸の権」「立ち入りを断れる=不入の権」。「輸(税を輸送する=納める)」「入(立ち入る)」という漢字の意味から覚えると忘れません。

注意:寄進は「土地をあげてしまう」のではなく、「税を守るための手続き」です。寄進した豪族は、荘官としてそのまま土地を支配し続けました。


5 武士のおこりと成長

武士とは

  • 武士は、もともとは弓矢や馬の技術にすぐれた人や、地方の豪族とその家来でした。
  • 国司は地方で役所の警備を行い、都や地方で犯罪の取りしまりを担当する者もいました。
  • 地方の武士がそのまま住みついたり、都の武士が朝廷の役職についたりすることもありました。
  • 都と地方を行き来しながら実力をたくわえ、一族や家来を従えて武力をつくる者たちが現れました。

武士による反乱

乱 年 人物 内容
平将門の乱 935〜940年(全盛期939年) 平将門 下総国(現在の千葉県付近)の豪族が反乱を起こした。武士が起こした最初の大きな反乱
藤原純友の乱 同じころ 藤原純友 伊予国の役人だった人物が西国(西日本)を荒らし回った
前九年の役 1051年 源義家ら 東北地方で1度目の争いをしずめた
後三年の役 1083年〜 源義家ら 東北地方で2度目の争いをしずめた

これらの乱のあと、武士の力は都でも認められるようになり、源氏は東国(東日本)で勢力をもつようになりました。

ポイント:「将門=東国(関東)/純友=西国(西日本)」と、方角で覚えるのが確実です。「武士と朝廷の対立が始まった最初の事件」が将門の乱です。

注意:東北の2つの争いはどちらも源義家がしずめた——この結果源氏が東国で勢力を伸ばし、のちの源頼朝につながります。「前九年・後三年」は順番と年号(1051/1083)をセットで。


6 院政と藤原氏の衰退

院政とは

11世紀後半、藤原氏と血のつながりのうすい後三条天皇が政治を行い、藤原氏をおさえました。

1086年、白河天皇は位を8歳の皇子にゆずり、自身は上皇となって、その後も政治を行いました。このように上皇が政治を行うことを院政といいます。

なぜ藤原氏は衰えたのか

理由 内容
政治上 上皇が主導権を握り、藤原氏の思うようにことが進まなくなった
経済上 上皇が荘園を拡大し、藤原氏の荘園が上皇に吸収されて経済的に弱体化した
軍事上 平氏・源氏が活躍し、武士が台頭して藤原氏の地位が低下した

院政が始まると、藤原氏の力は急速に衰え、多くの荘園が上皇に集中していきました。

ポイント:「1086年=白河上皇が院政を始めた」。「上皇=天皇をやめた人」「院政=上皇が政治を行うこと」と、用語の意味から確認しましょう。

注意:院政の時期は、上皇と天皇が対立する時代でもあります。次の章の保元の乱は、この上皇と天皇の対立が原因で起こりました。


7 保元の乱と平治の乱(武士の政争介入)

朝廷の対立

院政が行われるようになると、上皇と現役の天皇が対立するようになり、源氏・平氏は一族の内部でも上皇方と天皇方に分かれて対立しました。

  • 上皇と藤原氏、上皇と現役天皇、上皇と有力寺院——それぞれが軍事力として武士を味方につけました。
  • それまでの武士は、地方の反乱を起こしたり鎮めたりしていましたが、この戦いは、初めて朝廷の政争に武士が介入したものでした。

保元の乱(1156年)

勝利側 敗北側
後白河天皇方(平清盛・源義朝) 崇徳上皇方(源為義・平忠正)

勝利した平清盛と源義朝は、朝廷内で地位を確立しました。

平治の乱(1159年)

勝利側 敗北側
平清盛 源義朝(後白河天皇側だった)

平清盛が地位を独占しました。敗れた源義朝は敗死しました。

注意:保元の乱(1156年)は「天皇方 vs 上皇方」、平治の乱(1159年)は「平清盛 vs 源義朝」。乱の名前と対立の構図が入れかわりやすいので、「保元=天皇と上皇」「平治=平と源」と区別しましょう。

ポイント:保元の乱で勝利した2人(平清盛・源義朝)のうち、次の平治の乱で勝ったのが平清盛——この2段階が、平氏の政治の始まりです。


8 平清盛の政治と日宋貿易

平清盛のあゆみ

年 できごと
1159年 平治の乱に勝利し、源義朝を滅ぼして政治の主導権を握る
1167年 武士として初めて太政大臣になる
1180年 源義朝の子・源頼朝が関東で挙兵

平清盛は藤原氏と同じ作戦で政権基盤を築きました。

  • 娘の得子を高倉天皇に嫁がせ、その子を天皇にする。
  • 朝廷の重要な役職を独占する。
  • 西日本を中心に荘園をもつ。

日宋貿易(にっそうぼうえき)

平清盛は貿易に力を入れました。

施策 内容
大輪田泊(おおわだのとまり) 現在の神戸港にあたる港を整備した
瀬戸内海の航路 航路を開拓した
厳島神社(いつくしまじんじゃ) 航海の安全を願って社殿を整備。広島県の宮島にある
輸出 輸入
硫黄・刀剣など 宋銭・陶磁器など

貿易による利益は平氏政権の財政基盤となり、貴族社会に依存しない力を獲得しました。 しかし平氏一族の中には「平家でない者は人でない」という者さえ現れ、貴族やほかの武士たちの強い反発を買うようになりました。

ポイント:「大輪田泊=現在の神戸港」「厳島神社=広島県宮島」。場所を現在の地名で問われることが多いので、セットで覚えましょう。

注意:「武士として初めて太政大臣になった=平清盛(1167年)」。「平家でない者は人でない」という言葉が、反発を買った理由として出題されます。


9 平安時代の仏教

新しい仏教(平安時代初め)

奈良時代は、聖武天皇の東大寺・大仏など、仏教が国家事業の中心でした。しかし寺院が力をつけすぎ、道鏡など政治に口出しする僧も現れました。

そこで桓武天皇は、仏教勢力を政治から切り離すため、都を平安京に移し、平安京に寺院をつくることを禁止しました。

唐から新しい仏教を導入した2人

人物 宗派 建てた寺 現在の場所
最澄(伝教大師) 天台宗 比叡山 延暦寺(ひえいざん えんりゃくじ) 滋賀県
空海(弘法大師) 真言宗 高野山 金剛峯寺(こうやさん こんごうぶじ) 和歌山県
  • 最澄と空海は、亡くなった後に功績が認められ、特別な名前をさずかりました(最澄=伝教大師/空海=弘法大師)。
  • 桓武天皇が仏教勢力を政治から切り離そうとしたので、京都ではなく遠くにお寺をつくりました。

阿弥陀信仰の広がり(平安時代中期)

阿弥陀信仰とは、阿弥陀仏にすがり、死後に極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰です。貴族の間に信仰が広がりました。

阿弥陀堂 建立 建立者 場所
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう) 1053年 藤原頼通 京都府(宇治市)
中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう) 1124年 奥州藤原氏 岩手県(平泉)
  • 平等院鳳凰堂は10円玉の絵柄になっています。藤原道長の息子・頼通が建てたお堂で、京都府宇治市にあります。
  • 中尊寺金色堂は金箔が張りめぐらされた阿弥陀堂で、世界文化遺産に指定されています。奥州藤原氏の拠点・平泉に建てられました。

浄土教の広がり(平安時代後期)

できごと 内容
末法思想 1052年から仏法が衰えるという考え。人々は不安になった
浄土教 「念仏をとなえれば極楽浄土に往生できる」という教え。庶民にも広がった
空也 京の町で踊りながら念仏を広めた

この流れは、鎌倉時代に浄土宗・浄土真宗が繁栄することにつながります。

ポイント:「最澄=天台宗=比叡山延暦寺=滋賀県」「空海=真言宗=高野山金剛峯寺=和歌山県」。宗派・寺・県の3点セットで、必ず問われます。

注意:「鑑真=唐招提寺」は奈良時代です。「最澄・空海は平安時代」と時代が違うので、混同しないようにしましょう。

ポイント:「1052年から末法」という不安が、阿弥陀信仰・浄土教を広げた——不安が信仰を広げるという因果で覚えると忘れません。


10 国風文化(かな文字と文学)

国風文化とは

9世紀後半から、唐の文化を土台にしながら、日本の自然や生活にあった文化が生まれました。これを国風文化といいます。この文化は、藤原氏の摂関政治のころに最も栄えました。

遣唐使の停止

唐からの船がたびたび日本に来るようになり、894年に菅原道真の提案により遣唐使が廃止されました。遣唐使の停止によって、日本独自の文化が発展しました。

菅原道真はその後、太宰府に送られて亡くなりましたが、太宰府で「学問の神様」としてまつられています。

かな文字

文字 つくられ方 使われ方
ひらがな 漢字をくずした形から おもに女性が使った(女文字ともいう)
カタカナ 漢字のへんやつくりをもとに おもに男性が使った

かな文字を使うと、漢字だけの文よりも、自分の考えや気持ちを自由に表現できます。このため、和歌や物語・日記などの文学が発達しました。

かな文字で書かれた作品

ジャンル 作品 作者
歌集 古今和歌集(こきんわかしゅう) 紀貫之らが編纂
随筆 枕草子(まくらのそうし) 清少納言
物語 源氏物語(げんじものがたり) 紫式部
物語 竹取物語(たけとりものがたり) —(かぐや姫の伝説をもとにした物語)
日記 土佐日記(とさにっき) 紀貫之
  • 源氏物語は、貴族の生活や人情をたくみにえがいた物語で、大和絵を加えた「源氏物語絵巻」などの絵巻物も制作されました。
  • 枕草子は、自然の変化などを鋭い感覚でえがいた随筆です。
  • 土佐日記は、かな文字で書かれた最初の日記とされています。

ポイント:「古今和歌集=紀貫之」「枕草子=清少納言」「源氏物語=紫式部」「土佐日記=紀貫之」。紀貫之は歌集の編纂と日記の両方に関わった人物です。

注意:ひらがなとカタカナの成り立ちが入れかわりで出題されます。「ひらがな=漢字をくずした形/カタカナ=漢字の一部(へんやつくり)」。カタカナの「カ」は「加」の一部、と具体例で覚えると確実です。

ポイント:「かな文字で書かれた最初の日記=土佐日記」、「かな文字で書かれた最初の物語=竹取物語」——「最初」がつく作品は要注意です。


11 寝殿造と大和絵

寝殿造(しんでんづくり)

このころの貴族の住まいのつくりを寝殿造といいます。

  • 中国の宮廷建築と異なり、自然と調和した日本的な様式です。
  • 政治や宴会の場として使われ、有力貴族の邸宅もこの造り方でした。
  • 平等院鳳凰堂もこの方式でつくられました。

大和絵(やまとえ)

項目 内容
題材 日本の風景・四季・宮廷生活を鮮やかに描いた絵画
描かれた場所 部屋の内部のふすまやびょうぶにも描かれた
発展 源氏物語などを題材にし、絵巻物としても発展した

絵巻物とは、横に長くつなげた紙に、絵と物語を組み合わせて描いたものです。

貴族の正装

平安時代は儀式や行事が行われ、貴族は正装する必要がありました。

対象 正装
男性 束帯(そくたい)
女性 十二単(じゅうにひとえ)、または女房装束(にょうぼうしょうぞく)

ポイント:「寝殿造=貴族の住まい」「大和絵=日本の風景・四季を描いた絵画」「絵巻物=横に長くつなげた紙に絵と物語」。建物・絵画・様式の3つを区別しましょう。

注意:「大和絵は、寝殿造のふすまやびょうぶに描かれ、絵巻物にも使われて発展した」——同じ大和絵が2か所で使われたという点が、穴埋めのポイントです。


12 平安京の町のつくり

平安京は現在の京都市にあり、中国の都を手本につくられた、東西に長い長方形の都でした。

名称 内容
平安宮 天皇が住み、政治を行った場所
右京・左京 都を朱雀大路で東西に分けた区画
朱雀大路(すざくおおじ) 都の中央を通る南北の大通り
東市・西市(ひがしいち・にしいち) 都の中に置かれた市(いち)
桂川(かつらがわ) 都の西側を流れる川
鴨川(かもがわ) 都の東側を流れる川
広隆寺・清水寺 都の外につくられた寺院

桓武天皇が平安京に寺院をつくることを禁止したため、寺院は都の外に建てられました。

ポイント:「桂川は西、鴨川は東」——都の外側を流れる2つの川です。「東の鴨川、西の桂川」と、方角とセットで覚えましょう。

注意:平安京の造営のため、人や物の費用がかさみ、桓武天皇は東北征討と造営をやめることになりました。「都づくりが国の負担になった」点もセットで押さえましょう。


13 年表で整理(並べ替え問題の対策)

この単元は「古い順に並べよ」の問題が本当によく出ます。次の年表を指で追いながら確認しましょう。

年 できごと 主役
645年 大化の改新 中臣(藤原)鎌足
694年 藤原京に遷都 持統天皇
710年 平城京に遷都 元明天皇
784年 長岡京に遷都 桓武天皇
794年 平安京に遷都 桓武天皇
866年 藤原良房が初の摂政に 藤原良房
887年 藤原基経が初の関白に 藤原基経
894年 遣唐使の停止 菅原道真の提案
935〜940年 平将門の乱・藤原純友の乱 平将門・藤原純友
1016年 藤原道長が摂政に(全盛期) 藤原道長
1051年 前九年の役 源義家
1052年 末法思想の始まり —
1053年 平等院鳳凰堂の建立 藤原頼通
1083年〜 後三年の役 源義家
1086年 白河上皇が院政を始める 白河上皇
1124年 中尊寺金色堂の建立 奥州藤原氏
1156年 保元の乱 平清盛・源義朝
1159年 平治の乱 平清盛・源義朝
1167年 平清盛が太政大臣に 平清盛
1180年 源頼朝が関東で挙兵 源頼朝

並べ替えのコツ

「道長 → 院政 → 平氏」が大きな骨格です。

  • 平将門の乱(935年〜)は、実は道長の全盛期より早い——「武士が先に動き出し、その後に藤原氏の全盛期が来る」という順番が意外に感じるポイントです。
  • 将門・純友の乱 → 前九年の役 → 後三年の役 → 保元の乱 → 平治の乱という武士の流れ。

ポイント:「将門 → 前九年 → 後三年 → 保元 → 平治」と、5つの乱の順番を唱えましょう。将門の乱が一番早いのがミソです。

注意:中国の王朝は「魏(220年〜)→ 隋(589年〜)→ 唐(618年〜)→ 宋(979年〜)」の順です。日本から見ると唐は飛鳥〜奈良〜平安、宋は平安〜鎌倉にあたります。


14 本体の要点チェック(確認問題)

予習シリーズ本体の要点を、確認問題の形で並べます。答えを右手でかくして挑戦してみてください。

問1 平安京に都を移し、律令政治の立て直しに努めた天皇の名を答えなさい。また、平安京に都が移された年を答えなさい。
→ 答え: 桓武天皇。794年です(784年には長岡京に遷都)。

問2 天皇が幼いときと補佐するときに行われる役職の名を、それぞれ答えなさい。
→ 答え: 摂政(幼い天皇の代わり)と関白(成人した天皇の補佐)。

問3 摂政・関白を一般に何といい、11世紀前半に自分の娘を天皇の妃にして勢力をきずいた人物は誰ですか。
→ 答え: 摂関政治。藤原道長です(子の頼通が平等院鳳凰堂を建立)。

問4 10世紀半ばに関東地方で起こった、武士による反乱の名を答えなさい。また同じころ、西国の役人が起こした反乱の名を答えなさい。
→ 答え: 平将門の乱と藤原純友の乱です。将門=東国・純友=西国。

問5 1086年、天皇の位をしりぞいて上皇となった後も政治を行いました。このような政治を何といいますか。
→ 答え: 院政です。白河上皇が始めました。

問6 平治の乱に勝利した武士の名を答えなさい。また、この人物が1167年に武士として初めてついた役職の名を答えなさい。
→ 答え: 平清盛。太政大臣です。

問7 平安時代初めの新しい仏教について。①天台宗を日本に伝えた人物と、その人物が現在の滋賀県に建てた寺院の名。②真言宗を伝えた人物と、その人物が現在の和歌山県に建てた寺院の名。
→ 答え: ①最澄(伝教大師)/比叡山延暦寺 ②空海(弘法大師)/高野山金剛峯寺

問9 国風文化について。①貴族の生活や人情をえがいた『源氏物語』の作者。②清少納言が自然の変化をえがいた随筆の名。③かな文字で書かれた最初の日記とされる『土佐日記』の作者。
→ 答え: ①紫式部 ②枕草子 ③紀貫之

問10 京都府宇治市にある、藤原頼通が建立した阿弥陀堂の名を答えなさい。
→ 答え: 平等院鳳凰堂です(1053年建立。10円玉の絵柄)。


15 親子で最終チェック!10問クイズ

Q1. 桓武天皇は784年と794年に、それぞれ何という都に遷都しましたか。また、平安京が都であった期間はおよそ何年間ですか。

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784年が長岡京、794年が平安京です。平安京は794年からおよそ1100年間、日本の都であり続けました(源頼朝が征夷大将軍となるまで)。桓武天皇は2つの都を移したのがポイントです。

Q2. 桓武天皇が仏教勢力を政治から切り離すためにしたことと、東北地方の制圧のために任命した役職・人物を答えなさい。

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平安京に寺院をつくることを禁止し、寺院は都の外に建てさせました(道鏡のように政治に口出しする僧が現れたためです)。東北制圧では坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷の首長アテルイを降伏させました。

Q3. 幼い天皇に代わって政治を行う役職と、成人した天皇の補佐を行う役職の名をそれぞれ答えなさい。また、初めてそれぞれの役職についた人物の名を答えなさい。

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摂政(幼い天皇の代わり)と関白(成人した天皇の補佐)です。初めて摂政になったのが866年の藤原良房、初めて関白になったのが887年の藤原基経です。この2つを独占して実権を握ることを摂関政治といいます。

Q4. 藤原氏が勢力を拡大した方法を3つあげなさい。また、藤原氏の全盛期は何世紀の誰と誰のころですか。

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①自分の娘を天皇の妃にする ②豪族から荘園を寄進させ収入源にする ③有力な貴族を追放した(菅原道真も太宰府に追放)です。11世紀前半の藤原道長と、その子の藤原頼通のころが全盛期でした。

Q5. 荘園が税を納めなくてもよい権利と、国司が荘園に立ち入ることを断れる権利の名をそれぞれ答えなさい。また、荘園を増やすために地方の豪族がしたことを答えなさい。

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不輸の権(税を納めなくてよい)と不入の権(立ち入りを断れる)です。地方の豪族は荘園を都の有力貴族や寺社に寄進し、自分は荘園の管理人(荘官)として土地を支配し続けました。荘園が増えると国の収入は減っていきました。

Q6. 武士が起こした最初の大きな反乱で、下総国(現在の千葉県付近)が舞台になったものを答えなさい。また、同時期に西国を荒らしまわった人物と、11世紀後半に東北で起こった2度の争いの名を答えなさい。

答えを見る

平将門の乱(935〜940年、全盛期939年)です。西国を荒らしたのは藤原純友(伊予国の役人)です。東北の2度の争いは前九年の役(1051年)と後三年の役(1083年〜)で、どちらも源義家がしずめ、その結果源氏は東国で勢力をもつようになりました。

Q7. 1086年に上皇となった後も政治を行った人物は誰ですか。このような政治を何といい、なぜ藤原氏の力は衰えたのですか。

答えを見る

白河上皇です。この政治を院政といいます。藤原氏が衰えた理由は、①上皇が主導権を握った(政治面) ②上皇が荘園を拡大し、藤原氏の荘園が上皇に吸収されて経済的に弱体化した ③平氏・源氏が活躍し武士が台頭したの3点です。

Q8. 1156年と1159年に起こった2つの乱の名を答えなさい。それぞれ誰と誰が争い、どちらが勝利しましたか。

答えを見る

1156年の保元の乱は天皇方(後白河天皇)と上皇方(崇徳上皇)が争い、平清盛・源義朝が属する天皇方が勝利しました。1159年の平治の乱は平清盛と源義朝が争い、平清盛が勝利して政治の実権を握りました。武士が初めて朝廷の政争に介入したのがポイントです。

Q9. 平清盛が武士として初めてついた役職と、その年を答えなさい。また、平清盛が貿易のために整備した港と、航海の安全を願って整備した神社の名を答えなさい。

答えを見る

1167年に太政大臣につきました。整備した港は大輪田泊(現在の神戸港)で、瀬戸内海の航路も開拓しました。神社は厳島神社(広島県の宮島)です。貿易は日宋貿易といい、日本からは硫黄や刀剣、宋からは宋銭や陶磁器が行き来しました。

Q10. 平安時代初めに新しい仏教を伝えた2人と宗派・寺院・現在の県を答えなさい。また、この時代の文化を何といい、ひらがなとカタカナはどのようにしてつくられましたか。

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最澄(伝教大師)=天台宗=比叡山延暦寺=滋賀県、空海(弘法大師)=真言宗=高野山金剛峯寺=和歌山県です。この時代の文化は国風文化(遣唐使の停止で日本独自の文化が発展)です。ひらがなは漢字をくずした形から、カタカナは漢字のへんやつくりをもとにつくられました。その結果、古今和歌集(紀貫之ら)・枕草子(清少納言)・源氏物語(紫式部)・土佐日記(紀貫之)などが生まれました。


16 まとめ:取り組み方のコツ

1. 「誰が主役か」で人物を並べる 桓武天皇 → 良房 → 基経 → 道長 → 頼通 → 白河上皇 → 平清盛の順に、「その人が何をしたか一言」を言いましょう。この回は人物と年号がセットで問われるので、人物の線をつくると強いです。

2. 「初めて」とつくものを集める 初めての摂政=藤原良房/初めての関白=藤原基経/武士で初めての太政大臣=平清盛/武士が起こした最初の大きな反乱=平将門の乱/かな文字で書かれた最初の日記=土佐日記。「最初」がつくものは必ず出題されます。

3. 並べ替えは「将門 → 前九年 → 後三年 → 保元 → 平治」 武士の乱の順番を唱えましょう。そして「道長(1016)→ 院政(1086)→ 平氏(1159〜)」という大きな流れを押さえれば、年号がうろ覚えでも順番は解けます。

4. 仏教は「宗派・寺・県」の3点セット 最澄=天台宗=比叡山延暦寺=滋賀県/空海=真言宗=高野山金剛峯寺=和歌山県。阿弥陀堂は「平等院鳳凰堂=頼通=京都府」「中尊寺金色堂=奥州藤原氏=岩手県」。建てた人・場所・時期まで確認しましょう。

最後に:平安時代は、「政治の主役が貴族から武士へ交代していく時代」です。藤原氏の全盛期をピークに、上皇へ、そして平清盛へ——実権が移るたびに、文化も仏教も新しい形に変わっていきます。テスト前は、この記事の年表とクイズ10問を親子で回してみてください。本日の伴走、おつかれさまでした!

 

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