予習シリーズ 小5社会(下)第2回「古墳・飛鳥時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

予習シリーズ 小5社会(下)第2回「古墳・飛鳥時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

小5社会(下)の第2回は「古墳時代と飛鳥時代」です。前回の弥生時代で「稲作とクニ」が始まり、今回はそこからヤマト政権の誕生→渡来人→推古天皇・聖徳太子の政治→大化の改新→壬申の乱→藤原京まで、一気に時代が動きます。

この回の最大の特徴は、人物名と年号が一気に増えること。そして似た名前・似た数字がわざと並べられていることです。「冠位十二階=603年/十七条の憲法=604年」「白村江の戦い=663年/壬申の乱=672年」など、1年違い・9年違いのセットを混同すると、そのまま失点につながります。親子で取り組むときは、「人物・できごと・年号」を3点セットのカードにして、並べ替えで確認するのがいちばん効率的です。


1 今回の単元、6つの柱

まず全体像をつかみましょう。第2回の出題は、大きく次の6分野に分かれます。

分野 おさえる内容 最優先チェック
古墳文化 前方後円墳・円墳・方墳、埴輪、代表的な古墳 大仙古墳=日本最大(486m)、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」
ヤマト政権 3世紀中ごろ〜4世紀の政権誕生、大王(おおきみ) 支配者は大王、のちに天皇
氏姓制度 氏(うじ)・姓(かばね)、臣(おみ)・連(むらじ) 氏=集団、姓=家柄・身分
渡来人 儒教(5世紀)・仏教(6世紀)、土木・須恵器・機織り・漢字 教えは世紀で、技術は名前で
推古天皇・聖徳太子 593年摂政、603年冠位十二階、604年十七条の憲法、607年遣隋使 603・604・607を言えるように
大化の改新〜藤原京 645年、646年改新の詔、663年白村江、672年壬申の乱、694年藤原京 年代の並べ替えが頻出

ポイント:歴史の回は「用語を覚える」より「順番を言える」が得点に直結します。まずこの表の6分野を、1行ずつ声に出して確認してみてください。


2 全体の流れをつかむ

細かい話に入る前に、この回で扱う時代の流れを確認します。

時代 主なできごと
弥生時代 稲作が広がり、クニが発展 → 豪族が出現 → 豪族をまとめる大王が出現 → 古墳の登場
古墳時代 3世紀半ば、ヤマト政権が誕生(国内統一)/538年ごろ仏教伝来/渡来人が儒教・仏教と技術を伝える
飛鳥時代 推古天皇(聖徳太子)の政治 → 645年 大化の改新663年 白村江の戦い672年 壬申の乱694年 藤原京遷都
奈良時代 710年、平城京に都を移す(元明天皇)/聖武天皇が奈良の大仏を建立

ポイント:飛鳥時代に都がおかれた飛鳥(奈良県の南部)には、推古天皇以降約100年間にわたって朝廷がありました。だから「飛鳥時代」とよぶのです。都の場所と時代の名前が結びついていることを、まずおさえましょう。


3 古墳時代①:ヤマト政権の誕生と「大王」

3世紀の中ごろから4世紀にかけて大和地方(奈良県北部)の豪族たちが中心となってヤマト政権(大和政権)をつくりました。これが日本の古代国家のはじまりです。

  • ヤマト政権の支配者は大王(おおきみ)とよばれ、のちに天皇となりました。
  • ヤマト政権は、各地の有力な豪族(地方の豪族)に、朝鮮半島からの鉄や技術などを与える代わりに、貢ぎ物や兵を出すことを求めました。
  • 5世紀の後半には、九州の中部から関東地方にかけての地域の豪族たちを従えるようになりました。

ポイント:「与える代わりに求める」という関係が、いまの税金や兵役のもとになっています。「鉄や技術を与える → 代わりに貢ぎ物と兵」と、矢印で覚えると忘れません。


4 古墳時代②:ヤマト政権のしくみと氏姓制度

氏(うじ)と姓(かばね)

ヤマト政権の豪族たちは、氏(うじ)とよばれる集団をつくっていました。そして、家柄や身分に応じて「姓(かばね)」を与えられました。

用語 読み方 意味
氏(うじ) うじ 豪族の集団(一族+従えた人々)
姓(かばね) かばね 家柄や身分に応じて与えられた称号
臣(おみ) おみ 姓の代表例。主にヤマト政権の中心豪族
連(むらじ) むらじ 姓の代表例。主に祭りごとを担当する豪族
氏姓制度 しせいせいど 氏と姓で政治に参加させるしくみ

ヤマト政権は、大王を中心とした豪族たちの連合政権でした。大王は、氏の家柄に応じて臣や連などの姓を与え、地方の政治に参加させました。このしくみを氏姓制度といいます。

注意:テストで「氏」と「姓」の説明を入れ替えて出してくる問題がよくあります。氏=集団/姓=家柄・身分。この2つは必ずセットで覚えましょう。

ワカタケル大王と鉄剣・鉄刀

5世紀半ばごろの大王ワカタケル大王は、次の3つの人物と同一人物だと考えられています。

  • 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
  • 中国の歴史書に出てくる「武」(武王)

そして、ワカタケル大王の名がきざまれた鉄製品が、離れた2つの古墳から出土しています。これが、ヤマト政権の力が広い範囲におよんでいた証拠になりました。

出土した古墳 場所 出土したもの
稲荷山古墳(いなりやまこふん) 埼玉県 鉄剣(てっけん)
江田船山古墳(えたふなやまこふん) 熊本県 鉄刀(てっとう)

ポイント:「埼玉=鉄剣/熊本=鉄刀」は、県名とセットで覚えるのがコツ。片方だけ「鉄刀」「鉄剣」が入れ替わって出題されるのが定番です。場所も関東と九州という正反対の位置であることが、ヤマト政権の支配範囲の広さを示しています。


5 渡来人と大陸の文化・技術

渡来人とは

中国・朝鮮半島から日本に渡ってきた人々渡来人(とらいじん)といいます。大陸との交流がさかんになるにつれて、渡来人によって多くの文化や技術がもたらされました。渡来人は豪族やヤマト政権に仕え、学問・宗教・技術の担い手として活躍しました。

渡来人が伝えた「教え」

教え 伝わった時期 内容
儒教(じゅきょう) 5世紀ごろに正式に伝来 紀元前6世紀ごろ中国の孔子が説いた教え。「人の正しい行いのもとは人と人との愛や礼儀にあり、政治もそれにもとづくべきだ」という考え
仏教(ぶっきょう) 6世紀(538年または566年)に正式に伝来 インドのシャカ(釈迦)によって説かれた教え。百済(くだら)から公式に伝わった

注意儒教=5世紀/仏教=6世紀。「ご(5)じゅ、ろく(6)ぶつ」と語呂で覚えると混同しません。なお、仏教は正式に伝わる前から、渡来人の間で信仰されていました

渡来人が伝えた「技術」

技術 内容
土木技術 古墳の構築、ため池用水路づくり → 稲作がさらに効率よく
鉄製の農具 木製のすきやくわの先に鉄の刃先をはめる → 生産力が上がる
のぼりがま・須恵器(すえき) のぼりがま(登り窯)で高温で焼く → かたくてこわれにくく、水もれが少ない土器。ろくろを使って大量生産もできる
機織り(はたおり) カイコの繭から糸をとり、はた(機)で絹織物をつくる(養蚕)
漢字 書物とともに伝わる → 記録や外交が本格化
乗馬の方法 馬に乗る技術 → 移動や軍事が発達

ポイント:技術は「土木・鉄・須恵器・機織り・漢字・馬」の6つ。「のぼりがま」と「ろくろ」の名前も、須恵器の説明とセットで問われます。のぼりがま=高温で焼く道具/ろくろ=形をつくる道具と分けて押さえましょう。


6 古墳文化:種類・埴輪・代表的な古墳

古墳の種類

古墳は、その形によって名前がちがいます。3種類を形で区別できるようにしましょう。

種類 読み方
前方後円墳 ぜんぽうこうえんふん 円と四角(鍵穴形)が組み合わさった形
円墳 えんふん 丸い
方墳 ほうふん 四角い

3世紀の後半から7世紀ごろまでにつくられた、これらの古墳の時代を古墳時代といいます。はじめは近畿地方を中心につくられましたが、ヤマト政権の力が広まるにつれて各地でつくられるようになりました。

古墳のまわりと中身

  • 埴輪(はにわ):古墳のまわりや上に置かれた素焼きの土製品円筒形のものや、馬・人・家などをかたどったものもあり、当時の生活のようすがわかります。女性の埴輪は巫女(みこ)を表すと考えられています。
  • 副葬品(ふくそうひん):死者とともに埋葬されたもの。はじめは鏡・玉・剣、後には武具・馬具・日用品など。これらからも当時の社会のようすがわかります。

注意埴輪=古墳時代/土偶=縄文時代。この2つは超頻出の区別です。土偶は縄文時代の、主に女性をかたどった土製品で、願いごとやまじないに使われたと考えられています。名前が似ているので必ずセットで確認しましょう。

代表的な古墳

古墳 場所 ポイント
大仙古墳(だいせんこふん) 大阪府堺市 日本最大の古墳(長さ約486m)。世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の一部
稲荷山古墳 埼玉県 ワカタケル大王の鉄剣が出土
江田船山古墳 熊本県 ワカタケル大王の鉄刀が出土
高松塚古墳(たかまつづかこふん) 奈良県 飛鳥時代白鳳文化を代表し、壁画で当時のようすがわかる

ポイント:大仙古墳は仁徳天皇陵古墳ともよばれます。「堺市・日本最大・百舌鳥古市古墳群」の3つをセットで。また、仏教が広まると、豪族は古墳にかわって寺院を建てるようになります(→第8章)。


7 飛鳥時代①:蘇我氏の台頭と推古天皇・聖徳太子

蘇我氏と物部氏の争い

6世紀になると、豪族たちの勢力争いが激しくなりました。とくに力をもったのが蘇我氏(そがし)物部氏(もののべし)です。

  • 蘇我氏多くの渡来人を従え、仏教が伝わるとその信仰に熱心でした。
  • やがて蘇我氏が対立する物部氏を滅ぼし、大きな勢力を得ます。
  • そして一族の女性の一人が推古天皇として即位し、政治の実権を握りました。

ポイント:蘇我氏が勝った理由は「渡来人と結びついて、新しい文化・技術を取り入れていたから」。この「渡来人と結びついた豪族が力をつける」という流れは、飛鳥時代ぜんたいのキーワードです。

推古天皇と聖徳太子の政治

593年、推古天皇はおいの厩戸皇子(うまやどのおうじ)=聖徳太子摂政とし、蘇我馬子(そがのうまこ)とともに政治にあたらせ、天皇を中心とした政治のしくみを整えようとしました。

  • 摂政(せっしょう)とは:子供や女性の天皇の政治を助ける役割
できごと 内容
593年 聖徳太子が摂政になる 推古天皇のもとで政治の改革を進める
603年 冠位十二階(かんいじゅうにかい)を制定 家柄に関係なく、能力のある人を役人に。役人の地位・上下関係をあらわす制度
604年 十七条の憲法を制定 豪族たちに、役人としての心がまえを示したきまり
607年 遣隋使(けんずいし)を派遣 派遣されたのは小野妹子(おののいもこ)。から政治のしくみを学ぶことが目的

注意603年=冠位十二階/604年=十七条の憲法/607年=遣隋使(小野妹子)冠位十二階は「人を選ぶしくみ」、十七条の憲法は「心がまえ」と、内容の違いもセットで。また遣隋使は600年にも送られており、小野妹子が送られたのは607年です。並べ替え問題では「603→604→607」の順を確認しましょう。

ポイント:十七条の憲法は「憲法十七条」と書かれることもあります。「現在の憲法は国の最高のきまり」ですが、当時はそのような意味はなく、役人としての心がまえを説いたものです。この違いも問われます。

聖徳太子の死後

聖徳太子の死後、蘇我氏の権力はますます強くなり朝廷では不満がたまっていきました。これが、次の大化の改新へとつながります。


8 飛鳥文化:日本初の仏教文化

飛鳥時代には、日本で最初の仏教文化がおこりました。これを飛鳥文化といいます。

飛鳥文化の3つの特徴

  1. 仏教を中心とした、日本初の仏教文化である。
  2. 百済や高句麗、そしてシルクロードを通じて伝わった中国・インド・西アジア・ギリシャなど、海外の文化の影響を強く受けている。
  3. 法隆寺に代表される寺院建築や仏像、絵画などが特徴。

注意:影響を受けた地域は「中国・朝鮮・インド・西アジア・ギリシャ」。ギリシャが出てくるのがこの回のポイントです。シルクロードを通って、遠くギリシャの文化の影響まで及んでいたことをおさえましょう。

古墳から寺院へ

仏教が広まると、豪族は自分の力を示すために、古墳にかわって寺院を建設するようになりました。

寺院 場所 ポイント
四天王寺(してんのうじ) 大阪府 593年に聖徳太子が造立開始
法隆寺(ほうりゅうじ) 奈良県 607年、聖徳太子と推古天皇が中心となって建立。現存する世界最古の木造建築として世界文化遺産に登録。7世紀に建てられたとされ、一度焼けて再建されたが、現存する木造建築としては世界で最古

ポイント593年=聖徳太子が摂政になった年=四天王寺の造立開始。同じ年が2つのできごとで使われるので、まとめて覚えましょう。


9 飛鳥時代②:大化の改新

645年中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)親子を滅ぼし、政治の実権をにぎりました。これを大化の改新といいます。

646年、天皇から改新の詔(みことのり)が出され、唐の政治や制度にならって政治改革がはじまりました。

改新の内容 意味
公地公民(こうちこうみん) これまで天皇や豪族がもっていた土地や人民を、国家のものとする
戸籍(こせき)をつくる 全国を国・郡に分け(都の近くは畿内)、戸籍をつくって人々に田を割り当てる
班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)の準備 戸籍をもとに、6歳以上の男女に田を貸し与える
政治のしくみの変化 豪族中心から、天皇中心の政治へ

ポイント645年=大化の改新(蘇我氏を滅ぼす)/646年=改新の詔。この1年差も要注意です。「改新の詔」の詔(みことのり)は天皇の命令という意味です。

注意:教科書では改新の詔の内容を「一に公地公民」「二に国・郡と戸籍」「三に班田収授法」のように、番号をつけて示します。「土地と人を国家のものに → 戸籍 → 田を割り当てる」の流れで覚えましょう。


10 白村江の戦いと天智天皇

663年・白村江の戦い

当時、ヤマト政権(朝廷)は百済と手を結んで高句麗や新羅と戦っていました。朝鮮半島で百済が唐(とう)と新羅の連合軍に攻められ、助けを求められた朝廷は兵を朝鮮半島に送りましたが、663年に白村江(はくそんこう)の戦い唐・新羅の連合軍に敗れました

天智天皇の即位と都の移動

白村江の戦いの後、中大兄皇子は都を大津(滋賀県)に移し天智天皇として即位しました。そして全国的な戸籍をはじめてつくり、改新の政治をすすめました

さらに、唐や新羅の攻撃に備えて、博多(太宰府)の守りを強化しました。

防御のしくみ 内容
山城(やまじろ) 山に石垣をつくったもの
水城(みずき) 堀を用いたもの
防人(さきもり) 配置された兵士

ポイント:都の移動は「飛鳥 → 大津 → 飛鳥 → 藤原京」と動きます。天智天皇が大津に移したのは白村江の戦いの後、天武天皇が飛鳥に戻したのは壬申の乱の後。セットで整理しましょう。

注意:唐や新羅と戦ったのは白村江の戦いですが、敗れた後に九州の守りを固めたという流れは、後の時代(元寇など)にも繰り返し出てきます。「海外と戦った後は九州の守りを固める」というパターンで覚えると、後の単元でも役立ちます。


11 壬申の乱と藤原京遷都

672年・壬申の乱

672年天智天皇の後継をめぐって、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と、天智天皇の息子の大友皇子(おおとものおうじ)が争いました。この戦いを壬申の乱(じんしんのらん)といいます。

  • 勝ったのは大海人皇子天武天皇として即位。
  • 天武天皇は都を飛鳥に戻して、改新の政治をさらにすすめました。

注意弟=大海人皇子/息子=大友皇子。「弟が勝って天武天皇、息子は敗れる」という関係を、家族の図で書いて確認しましょう。壬申の乱=672年、「ろく(6)に(2)勝った弟」と語呂で覚えるのも手です。

694年・藤原京遷都

694年天武天皇の皇后で、天智天皇の娘でもある持統天皇(じとうてんのう)が、藤原京(ふじわらきょう)に都を移しました。

  • 藤原京は、日本で最初の本格的な都。都は計画的につくられました。
  • それまでの都は、天皇が代わるたびに移されていましたが、藤原京は3代にわたる天皇の都となりました。
  • 藤原京は現在の奈良県の南部にありました。

ポイント持統天皇=天武天皇の皇后推古天皇・持統天皇はどちらも女性天皇であることも、まとめて問われます。694年=藤原京/710年=平城京と、奈良の都の2つはセットで覚えましょう。

白鳳文化

7世紀の後半から8世紀初め唐の初期の文化の影響を受けた文化白鳳文化(はくほうぶんか)といいます。当時のようすは、高松塚古墳の壁画などからわかります。


12 外交:朝鮮半島と中国の動き

4世紀ごろの朝鮮半島

朝鮮半島には、次の4つの勢力がありました。

位置・特徴
高句麗(こうくり) 半島の北部。好太王(広開土王)の碑に、倭(日本)との戦いの記載がある
百済(くだら) 半島の南西部。日本と関係が深く、仏教を伝えた国
新羅(しらぎ) 半島の南東部。のちに勢力を伸ばす
伽耶諸国(かやしょこく) 半島の南部。の産地として知られた
  • 4世紀の中ごろ:ヤマト政権は伽耶諸国との結びつきを強め技術や鉄をとり入れました。
  • 4世紀の終わりごろ:さらに百済と手を結び高句麗や新羅と戦ったと言われています。
  • 5世紀:ヤマト政権の5代にわたる大王(倭の五王)は、中国にたびたび使いを送り、朝鮮半島南部の支配権を認めてもらおうとしました。

ポイント4世紀中ごろ=伽耶と結びつく/4世紀終わりごろ=百済と結び、高句麗と戦う。この順番は並べ替え問題の定番です。「伽耶 → 百済」の順で覚えましょう。

6世紀後半・7世紀後半の変化

時期 できごと
6世紀の後半 新羅の勢いが強くなり伽耶諸国がおびやかされる(やがてほろびる)
7世紀の後半 唐と新羅の連合が、百済・高句麗を滅ぼす → この流れの中で白村江の戦いが起こる

中国の動き:隋と唐

  • 589年、中国では隋(ずい)が中国を統一して治めていました。
  • 618年唐(とう)が成立し、周辺に勢力を伸ばし、その後約300年にわたって中国を統治しました。
  • 日本は600年607年遣隋使を派遣。隋が唐に代わると、遣隋使は遣唐使と名前もかわりました
  • 一緒に渡った留学生や僧は、中国の政治や文化を学んで帰国し、大化の改新のときに活躍しました

注意隋=589年に中国統一/唐=618年成立。「遣隋使から遣唐使へ」という名前の変化も問われます。なお唐の後には宋(そう)が中国を治めますが、それは日本の平安時代の話です。

東アジアとのつながり

  • 福岡県の志賀島(しかのしま)では、4世紀ごろ(古墳時代の終わりごろ)から、中国の貨幣や鏡が使われていました。
  • 日本と朝鮮半島・中国を結ぶ航路の安全を願って、神に祈りをささげる儀式が行われていました。
  • 外交や交易のようすは、各地の出土品から知ることができ、「海の正倉院」とよばれる宗像・沖ノ島の遺跡は、世界文化遺産の1つとなっています。

ポイント:この「大陸との交流」の流れは、次回以降の奈良時代・平安時代にも続きます。鉄・貨幣・鏡・仏教が、海を渡って伝わってきたのだとイメージしておきましょう。


13 人物と年表の総整理

人物整理

人物 おさえること
ワカタケル大王 雄略天皇・「武」と同一人物とされる。稲荷山古墳(埼玉県)の鉄剣、江田船山古墳(熊本県)の鉄刀
蘇我氏 渡来人と結びついて台頭。物部氏を滅ぼす → 推古天皇を立てる
物部氏 蘇我氏と対立し、滅ぼされた豪族
推古天皇 593年即位。聖徳太子を摂政に。女性天皇
聖徳太子(厩戸皇子) 推古天皇のおい冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使・法隆寺
蘇我馬子 聖徳太子と一緒に政治を進めた
小野妹子 607年、遣隋使として隋に派遣された
蘇我蝦夷・蘇我入鹿 親子。645年、大化の改新で滅ぼされた
中大兄皇子 中臣鎌足とともに蘇我氏を滅ぼす → のちの天智天皇
中臣鎌足 中大兄皇子とともに大化の改新 → のちの藤原鎌足
天智天皇 白村江の戦いの後、都を大津へ全国的な戸籍をつくる
大海人皇子 壬申の乱で勝利天武天皇。都を飛鳥に戻す
大友皇子 天智天皇の息子。壬申の乱で敗れる
天武天皇 壬申の乱に勝利した天皇
持統天皇 天武天皇の皇后694年、藤原京に遷都女性天皇
藤原鎌足 中臣鎌足の後の名前(藤原氏の始まり

年表整理

できごと 時代
3世紀半ば ヤマト政権が国内を統一 古墳
538年(諸説あり) 仏教伝来 古墳
593年 聖徳太子が摂政になる/四天王寺造立開始 飛鳥
603年 冠位十二階を制定 飛鳥
604年 十七条の憲法を制定 飛鳥
607年 小野妹子を遣隋使として送る/法隆寺建立 飛鳥
645年 大化の改新(蘇我氏を滅ぼす) 飛鳥
646年 改新の詔 飛鳥
663年 白村江の戦い(唐・新羅に敗れる) 飛鳥
672年 壬申の乱 飛鳥
694年 藤原京に都を移す 飛鳥
710年 平城京に都を移す 奈良

ポイント:並べ替え問題は、この表を上から順に言えるようにするだけでほぼ対応できます。とくに603→604→607と、663→672→694の2かたまりは、口に出して何度も確認しましょう。


14 親子で最終チェック!10問クイズ

Q1. 3世紀の中ごろから4世紀にかけて、奈良県北部の豪族たちが中心となってつくった政権を何といいますか。また、その支配者は何とよばれましたか。

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→ ヤマト政権(大和政権)。支配者は大王(おおきみ)とよばれ、のちに天皇となりました。

Q2. 古墳のまわりや上に置かれた、素焼きの土製品を何といいますか。また、それがつくられた時代はいつですか。

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→ 埴輪(はにわ)古墳時代です。円筒形のものや、馬・人・家などをかたどったものがありました。

Q3. ワカタケル大王の名がきざまれた鉄剣が出土した古墳は何県にありますか。鉄刀の場合はどうですか。

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→ 鉄剣は埼玉県の稲荷山古墳、鉄刀は熊本県の江田船山古墳から出土しました。ワカタケル大王は雄略天皇、中国の歴史書に出てくる「武」と同一人物と考えられています。

Q4. 中国・朝鮮半島から日本に渡ってきて、さまざまな技術や文化を伝えた人々を何といいますか。

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→ 渡来人(とらいじん)儒教(5世紀)仏教(6世紀)を伝え、土木技術・鉄製農具・須恵器・機織り・漢字・乗馬などを伝えました。

Q5. 603年に制定された、家柄に関係なく能力のある人を役人にとりたてるしくみを何といいますか。

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→ 冠位十二階(かんいじゅうにかい)。翌604年には、豪族たちに役人としての心がまえを示した十七条の憲法が定められました。

Q6. 聖徳太子は、どの天皇の政治を助けましたか。また、その役割を何といいますか。

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→ 推古天皇の政治を助けました(593年)。この役割を摂政(せっしょう)といい、子供や女性の天皇の政治を助けるものです。

Q7. 607年に遣隋使として中国に送られた人物の名を答えなさい。

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→ 小野妹子(おののいもこ)。目的は、隋から政治のしくみを学ぶことでした。なお、遣隋使は600年にも送られています

Q8. 飛鳥文化を代表し、現存する世界最古の木造建築として世界文化遺産に登録されている寺院の名を答えなさい。

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→ 法隆寺(奈良県)。607年に聖徳太子と推古天皇が中心となって建立されました。593年に聖徳太子が造立を開始した大阪府の四天王寺も、セットで覚えましょう。

Q9. 645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした政治の改革を何といいますか。また、このとき滅ぼされた蘇我氏の親子の名を答えなさい。

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→ 大化の改新。滅ぼされたのは蘇我蝦夷(父)・蘇我入鹿(子)です。翌646年には改新の詔が出されました。

Q10. 663年に日本が唐と新羅の連合軍に敗れた戦いを何といいますか。また、その後に都を移した場所はどこですか。

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→ 白村江の戦い。敗れた後、中大兄皇子(天智天皇)は都を大津(滋賀県)に移しました。さらに672年には壬申の乱が起こり、勝った大海人皇子天武天皇となります。


15 まとめ:取り組み方のコツ

1. 人物・できごと・年号を「3点セット」で 「誰が・何を・いつ」をいつもセットにしましょう。603年=冠位十二階、604年=十七条の憲法、607年=遣隋使のように、1年違いのセットがこの回の最大の落とし穴です。

2. 並べ替えで口に出して確認 「593→603→604→607」「645→646」「663→672→694」。年表の順番を声に出して言えるかを毎回チェック。並べ替え問題はこの練習でそのまま解けます。

3. 「矢印」でしくみを書く 「鉄や技術を与える → 代わりに貢ぎ物と兵」「土地と人を国家のものに → 戸籍 → 田を割り当てる」。しくみは矢印で書くと、記述問題でも説明できるようになります。

4. 似た名前をペアで区別 氏と姓/儒教と仏教/埴輪と土偶/鉄剣と鉄刀/大津と飛鳥と藤原京/弟と息子。この回は「似ているもの」を区別する問題が中心です。1つずつ覚えず、ペアで覚えるのが得点への近道です。

最後に:古墳時代と飛鳥時代は、日本の国のかたちが決まっていくとても大事な回です。「豪族が力をもつ時代から、天皇を中心とする国家へ」という大きな流れを、子どもに一言で説明できたら大成功。テスト前は、この記事の年表とクイズを親子で回してみてください。本日の伴走、おつかれさまでした!

 

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