予習シリーズ 小5社会(下)第7回「室町時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

予習シリーズ 小5社会(下)第7回「室町時代」親子で押さえておきたいポイントまとめ

小5社会(下)の第7回は「室町時代」です。前回の鎌倉時代から、武士の政治が「鎌倉」から「京都」へ移る——ここが最大の転換点です。

この回のいちばん大切な見方は、「室町時代は一本の坂道」だということです。3代将軍・足利義満のころが上り坂の頂点、そして8代将軍・足利義政のときの応仁の乱で一気に下り坂へ。幕府の力が弱まるほど、町衆や農民が力をつけていく——この「力が下へ下りていく」流れが、次の戦国時代につながります。

親子で取り組むときは、「上り坂(義満)→ 頂点 → 下り坂(義政・応仁の乱)→ 下剋上」と、手を斜めに動かしながら声に出してみてください。この1本の線が頭に入ると、年号も人物も文化も、同じ線の上に並びます。


1 今回の単元、6つの柱

まず全体像をつかみましょう。第7回の出題は、大きく次の6分野に分かれます。

分野 おさえる内容 最優先チェック
室町幕府の成立 鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝の動乱、室町幕府を開く 建武の新政が失敗した理由
幕府のしくみ 将軍・管領・侍所・政所・問注所・鎌倉府・守護大名 執権と管領のちがい
幕府の衰退 義満の全盛、応仁の乱、下剋上 応仁の乱の東軍・西軍
外交 日明貿易(勘合貿易)、倭寇、朝鮮、琉球王国 朝貢貿易=対等でない
文化 北山文化、東山文化、庶民の文化とくらし 金閣=義満/銀閣=義政
産業と自治 農業、商工業、惣村、一揆 3つの一揆の年と場所

ポイント:この回は「政治 → 外交 → 文化 → 産業」の順に並んでいます。政治が乱れる(応仁の乱)→ 文化が地方へ広がる → 産業と自治が発達する——因果でつなぐと覚えやすくなります。


2 室町時代の全体像

室町時代は、大きく4つのブロックに分かれます。

時期 できごと ポイント
1333〜1338年 鎌倉幕府の滅亡 → 建武の新政 → 南北朝の動乱 → 室町幕府成立 わずか5年の間に政権が3回変わる
1378〜1404年 義満が花の御所を建てる → 南北朝の合一 → 日明貿易始まる 室町幕府の絶頂
1467〜1477年 応仁の乱 → 幕府の支配は山城国1国だけに ここが下り坂の始まり
1573年 織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府滅亡 戦国時代の終わりに滅びる

室町時代は、1338年に足利尊氏が幕府を開いてから、1573年に滅びるまでの約235年間です。ただし「室町時代」という名前は、3代義満が京都の室町に幕府を移したことに由来します。

ポイント:「室町幕府ができた1338年」と「室町時代という名前の由来になった1378年」は別です。1338年は「幕府成立」、1378年は「花の御所」——セットを間違えないようにしましょう。


3 鎌倉幕府の滅亡と建武の新政

なぜ鎌倉幕府は倒れたのか

鎌倉幕府は、元との戦い(元寇)で多くの御家人が活躍し、勝利しました。 しかし、領地が増えず恩賞を与えられず、御家人に不満がたまりました。

不満の種 内容
御家人の生活苦 戦費や借金が増え、御家人の不満が高まる。徳政令など借金帳消しされても改善されず
北条家の専制政治 北条一族が実権を握り続け、他の御家人が冷遇される

幕府への不満が全国に広がり、討幕の動きが起こります。

1333年 鎌倉幕府の滅亡

1333年、後醍醐天皇が朝廷に政権を取りもどそうと、足利尊氏・新田義貞・楠木正成らが挙兵し、鎌倉幕府を倒しました。

このとき活躍したのが、天皇方の武士・楠木正成と、御家人でありながら幕府を裏切った足利尊氏・新田義貞です。

1334年 建武の新政と、その失敗

後醍醐天皇は1334年に元号を「建武」と改め、自ら政治を始めました(建武の新政)。 しかし、それまでの武家社会のならわしを無視し、天皇に権力を集めて新しい政策を次々に打ち出したため、武士や農民だけでなく、一部の公家も不満を高めました。

問題 内容
武士の不満 鎌倉幕府討伐の恩賞が与えられなかった。朝廷中心で武士は政治に入れなかった
政治が回らない 天皇中心の政治のしくみがなかった。天皇がわの人員だけでは管理できなかった

後醍醐天皇は、最終的な決定を自分で行おうとしたため仕事が進まず、にせの天皇の命令書が出回るほどでした。京都の二条河原には、新政の混乱を風刺する落書(らくしょ)がかかげられています。

建武の新政は、わずか2年あまりでくずれてしまいました。

注意:「建武の新政が失敗したのは“武士に恩賞を与えなかったから”だけではない」——「天皇中心のしくみがなく、政治が回らなかった」という2つ目の理由を必ず添えましょう。片方だけ書くと減点になります。

1336年 南北朝の動乱

足利尊氏が武家政治の再建を目指し、京都で反乱を起こします。 建武の新政の失敗後、後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れ、そこに朝廷を開きました。

朝廷 場所 なりたち
北朝 京都 足利尊氏が新しい天皇(光明天皇)をたてた
南朝 吉野(奈良県) 後醍醐天皇が逃れて開いた朝廷

全国の武士の多くはいずれかについて争いました。この争乱(南北朝の内乱)は約60年も続きました。

ポイント:「北朝=京都=足利方がたてた」「南朝=吉野=後醍醐天皇」。北と南を逆に覚えるミスが最も多いところです。「京都は北、吉野は南」——地図の位置そのままで覚えましょう。


4 室町幕府の成立と全盛

1338年 室町幕府が開かれる

1338年、足利尊氏は北朝の天皇から征夷大将軍に任命され、京都に幕府を開きました。 幕府のしくみは、3代将軍・足利義満のころに整えられました。

1378年 花の御所

3代将軍・足利義満は、京都の室町に幕府を移し、華やかな屋敷(花の御所)を建てました。 室町幕府という呼び名は、この「室町」という地名からきています。

1392年 南北朝の合一

義満は1392年、北朝と南朝を1つにまとめ(南北朝の合一)、南北朝の内乱が終わりました。

1404年 日明貿易始まる

義満は明と国交を開き、1404年に日明貿易(勘合貿易)を始めました。 くわしくは「外交」の章で扱います。

ポイント:「この時が室町幕府の絶頂で、以降幕府の力は衰えていく」——義満の時代がピークです。義満=南北朝合一・日明貿易・北山文化・金閣——4つセットで覚えましょう。


5 室町幕府のしくみ

幕府の中央には、将軍を補佐する管領と、3つの機関が置かれました。

機関 役割
将軍 幕府の最高権力者
管領(かんれい) 将軍を補佐する役職。政所・侍所・問注所を統括。幕府の最高政務機関
侍所(さむらいどころ) 軍事・警察。武士の統率、京都の治安維持、反乱の鎮圧
政所(まんどころ) 幕府の財政。幕府の財産の管理、全国の行政
問注所(もんちゅうじょ) 記録の保管。裁判の記録
鎌倉府(かまくらふ) 関東などの支府。関東の武士の統率
守護(守護大名) 各国の実質支配者
地頭 守護の配下。守護が直接領地を管理

管領や侍所の長官には、特に有力な守護大名が任命されました。 室町時代の守護は、任命された国を自分の領地のように支配していきました。このような守護を守護大名といいます。

鎌倉幕府との比較

項目 鎌倉幕府 室町幕府
中央のトップ 執権(北条氏が実権をにぎる。中央・地方も統括) 管領(あくまで将軍の補佐。配置も中央の下)
京都・西国の監視 六波羅探題(幕府が鎌倉のため、京都の朝廷の監視や西国武士の統率) 鎌倉府(幕府が京都におかれたため、関東の武士の統率)
地方の支配 守護(各国の治安担当官)/地頭(執権直下、守護とは別に荘園などへ年貢の取立て) 守護大名(各国の実質支配者)/地頭(守護配下、守護が直接領地を管理)

注意:「執権=実権をにぎった/管領=あくまで補佐」——ここが最大の引っかけです。鎌倉の執権は北条氏が独占して将軍をしのぐ力を持ちましたが、室町の管領は将軍を助ける役職にとどまりました。「同じような名前だから同じ立場」と考えないようにしましょう。

ポイント:「幕府がどこにあるか」で地方機関が決まる——鎌倉幕府は京都を監視するために六波羅探題、室町幕府は関東を統率するために鎌倉府。逆の場所に目を向けているのがおもしろい点です。


6 応仁の乱と幕府の衰退

1467年 応仁の乱

15世紀半ばの8代将軍・足利義政のころ、将軍の後継ぎ問題がきっかけで、1467(応仁元)年に応仁の乱が起こりました。

将軍・足利義政のあとをめぐって、弟の足利義視(よしみ)を推すグループと、息子の足利義尚(よしひさ)を推すグループが対立。 そこに、管領家の細川勝元と山名宗全(持豊)の争いや、守護大名どうしの家督争いがからみました。

軍 大将 支持した側
東軍 細川勝元(ほそかわ かつもと) 弟派(足利義視)
西軍 山名宗全(やまな そうぜん/持豊) 息子派(足利義尚)

決着はつかず11年間続き(1467〜1477年)、京都は焼け野原になりました。

この戦乱によって中断された祇園祭は、後に京都の町衆によって復活されました。

幕府の力の衰退

この戦の後、将軍の力は完全におとろえ、幕府は都のあった山城国(京都府)1国を支配するだけとなりました。

守護を追われて地方に下った公家や僧によって、京都の文化が地方に広まりました。

下剋上への流れ

動き 内容
守護大名の台頭 各地の守護大名が力をつけ、対立も発生
家臣の下剋上 家臣が守護大名を倒し、戦国大名となることも
都市・農村の自治 力を持った町衆、農民の自治が進んだ
一揆の発生 目的のために団結して行動する一揆も発生

1573年、織田信長に足利義昭が追放され、室町幕府は滅びました。

ポイント:「応仁の乱=室町幕府の下り坂のスタート」。「幕府の支配=山城国1国だけ」という極端な数字が、衰退の証拠として問われます。

注意:東軍=細川=弟派、西軍=山名=息子派。「東の細川が弟、西の山名が息子」と語呂で覚えましょう。東西を逆にするミスが多いところです。


7 室町幕府の外交

日明貿易(勘合貿易)

義満が将軍になったころ、中国では元が滅び、明が成立しました(1368年)。 明は周辺諸国に国交を開くことを求め、日本に対しては倭寇(日本人の海賊)を取りしまることも求めました。

義満はこれを受け入れて明と国交を開き、日本が明に貢ぎ物を持っていく朝貢(ちょうこう)という形で貿易を始めました。

明が、貿易船と密航者を区別するために勘合(かんごう)という合い札を使わせたため、日明貿易は勘合貿易ともよばれます。

輸出品(日本 → 明) 輸入品(明 → 日本)
銅、硫黄、刀剣、扇 銅銭、絹織物、陶磁器

輸入された銅銭(明銭=永楽通宝など)は広く流通し、商業の発展につながりました。

注意:「日明貿易は対等な貿易ではない」——朝貢貿易です。「日本が貢ぎ物を持っていくスタイル」で、明が上位という関係でした。「対等」と書くと誤りになります。

ポイント:「勘合=倭寇の船と見分けるための合い札」。取り締まりのための道具だったことをセットで覚えましょう。

倭寇とは

元が滅びるころ、中国や朝鮮半島に日本人の海賊が現れました。 彼らは、中国や朝鮮の人々から倭寇とよばれ、おそれられていました。

朝鮮との貿易

このころ、朝鮮半島では高麗に代わって朝鮮が成立しました(1392年)。 このころ、朝鮮では「ハングル」という文字がつくられました。

朝鮮も日本に倭寇の取りしまりを求めてきたため、足利義満はこれに応じて、対等な貿易を始めました。

輸出品(日本 → 朝鮮) 輸入品(朝鮮 → 日本)
銅、硫黄、刀剣 木綿、お経、朝鮮人参

注意:「明とは朝貢(対等でない)/朝鮮とは対等」——このちがいが問われます。「朝鮮との貿易は日明貿易とは異なり、対等な貿易であった」と本文にもはっきり書かれています。

琉球王国と中継貿易

1429年、沖縄では3つの小国が統一されて、首里を都とする琉球王国が成立しました。

琉球の人々は、日本・中国・朝鮮などの東アジアや東南アジアの国々と中継貿易をさかんに行いました。 琉球の船は、明や東南アジアの香辛料などをたくさん積んで、堺や博多などの港にやってきました。

中継貿易とは、ある国から輸入した品物を、そのままほかの国へ輸出する貿易です。

貿易 相手 特徴
日明貿易 明(中国) 朝貢貿易。勘合を使って倭寇と区別
朝鮮貿易 朝鮮 対等な貿易。倭寇取りしまりも目的の1つ
中継貿易 明・東南アジアなど 琉球王国が担い手。1429年成立、首里が都

ポイント:「3つの貿易を“相手・特徴”で並べる」。明=朝貢/朝鮮=対等/琉球=中継——この3語の組み合わせで9割解けます。


8 北山文化と東山文化

室町時代には、前半は豪華で国際的な北山文化、後半はわび・さびを大切にした精神的な東山文化が発展しました。

項目 北山文化 東山文化
時期 14世紀後半〜15世紀前半 15世紀中頃
中心人物 足利義満(3代将軍) 足利義政(8代将軍)
特色 豪華で華やか。公家文化と武家文化の融合 質素で静か。わび・さびを重んじる。禅の影響
建築 金閣(鹿苑寺)——金箔で飾られた豪華な建物 銀閣(慈照寺)——書院造の始まり
芸術 能(世阿弥・観阿弥が大成)/狂言 水墨画(雪舟が大成)/茶の湯・生花

金閣と銀閣

金閣は14世紀末、足利義満が京都の北山に建てた華やかな建物です。 柱や壁・天井などに金箔がはられたので、金閣とよばれます。義満の死後に鹿苑寺という寺になりました。

銀閣は、足利義政が京都の東山に建てた別荘です。 2階建てで、1階は書院造風になっています。義政の死後、慈照寺という寺になりました。

能と狂言

能は、神社などで演じられたこっけいな猿楽や、田植えのときに歌われた田楽などをもとに大成されました。 観阿弥・世阿弥父子が足利義満の保護を受け、将軍の前で演じるのにふさわしい奥深い芸能に高めました。

狂言は、能の幕間(能と次の能が演じられる間の時)に演じられる劇です。 社会を風刺した内容が多く、当時の話しことばを使う形であることから、庶民に親しまれました。

ポイント:「金閣=義満=北山=豪華」「銀閣=義政=東山=わびさび」。人物と文化名と建物が3点セットで問われます。「北山に金、東山に銀」と方角で覚えましょう。

注意:「銀閣は銀箔がはられていない」——名前は銀閣ですが、実際に銀をはったわけではありません。「書院造の始まり」という建築史上の意味のほうが重要です。


9 庶民に広がる文化とくらし

室町時代には、庶民にもさまざまな文化が広がりました。

分野 内容
文学 お伽草子(『浦島太郎』『物くさ太郎』『一寸法師』などが庶民の読み物)/連歌(和歌の上の句と下の句を交互によみ合う)
芸術 狂言(能の幕間。社会風刺が多く庶民に人気)/茶の湯・生花が庶民の間にも広まる
遊び・行事 羽根つき、こま回しなどの遊び/節分、七夕、盆踊りなどの行事
衣 麻のほか、木綿が使われるようになった
食 とうふ、こんにゃく、まんじゅう、うどんなど現代につながる食べ物/しょうゆ、みそなどの調味料
住 書院造(現在の和風住宅のもと)。柱が角柱に/ふすまや障子ができた/床は畳がしきつめられた

書院造とは

書院造は、それまでの円柱ではなく角柱を使い、ふすまや障子で間仕切りをして、いくつもの部屋が独立するようにした建築様式です。

柱が角柱になったのは、新しい工具(大鋸=おおが)が用いられ、木材を加工しやすくなったからです。それまでは、板は木に割れ目を入れてたてに裂くことによってつくられていました。

また、床には畳がしきつめられるようになりました。それまで、畳は部屋の一部にだけしくものでした。

このような建築様式を書院造といい、現在の和風建築のもとになりました。 慈照寺の東求堂(とうぐどう)が、その代表的な建物です。

ポイント:「書院造の3点セット=角柱・ふすま(障子)・畳」。この3つが言えるかどうかが記述問題の分かれ目です。

注意:「木綿は室町時代にはまだ国産が主流ではない」——室町時代は木綿を朝鮮や中国から輸入していました。綿花の生産が三河などで始まるのは16世紀、全国に広がるのは18世紀です。「室町=木綿が普及」とだけ覚えると、年代問題で落とします。


10 農業の発達

項目 鎌倉時代 室町時代
肥料 草や木の灰を肥料として利用し始めた 草木の灰に加えて、人糞(じんぷん)も利用し始めた
耕作の効率 牛馬で田畑を耕したり運搬に利用(西日本は牛、東日本は馬) 牛馬に加えて、水車で水を引く「かんがい」の技術が発達し、用水路から水を引けるようになった
耕作回数 稲を刈り取った後に麦の耕作をする二毛作を始めた(西日本でおもに広がった) 二毛作が西日本から各地に広がった。近畿地方では三毛作を行うところも出てきた

農業技術が発展し、生産が高まりました。

各地に生まれた特産物

地名 特産物
紀伊(和歌山県) みかん
甲斐(山梨県) ぶどう
宇治(京都府) 茶
三河(愛知県) 綿花

また、茶・うるしや、油の原料になるえごまなど、手工業の原料を栽培するところが増えました。

ポイント:「農業の3つの進歩=肥料・効率・回数」。灰 → 人糞/牛馬 → 水車/二毛作 → 三毛作——「前の時代に何が加わったか」で覚えましょう。

注意:木綿は室町時代には中国などから輸入。綿花の生産は1500年代に三河で始まり、1700年代には全国で作られるようになりました。「室町=綿花の産地」と「室町=木綿を輸入」は両立します。


11 商工業の発達

分野 室町時代
市場(売る場所) 定期市の回数が増え、月に6回開かれる場所もできた。寺社の前に町が発展し、門前町とよばれた。明銭も利用された
保管・運送 交通の要所に卸売業の問屋が発展。馬を使って運ぶ馬借(ばしゃく)が現れた。日明貿易が盛んになり、港町ができた
組織 座が発展し、その数や種類が増えた。高い利子でお金を貸す土倉(どそう)、酒屋(さかや)が現れた

鎌倉時代には、定期市は交通の便が良い場所に多くは月に3回開かれ、宋銭が使われていました。 室町時代になると回数が増え、問(問丸)から発達した卸売業の問屋が交通の要所にできました。

平安時代後期にできた座は、商工業の発達によって、その数や種類が増えました。

手工業の発達

室町時代には手工業を専門に行う職人も現れました。今日まで続く工芸品も見られ、現在では伝統工芸品となっています。

産地 品
西陣(京都府) 絹織物(西陣織)
美濃(岐阜県) 和紙
瀬戸(愛知県) 焼き物

発達した町

種類 例
門前町 長野(善光寺)
港町 博多(福岡県)、堺(大阪府)、敦賀(福井県)、兵庫(兵庫県)

ポイント:「定期市 月3回 → 月6回」。回数が2倍になったことが、商業の発展を示す数字として問われます。

注意:「土倉」と「酒屋」は“金融業者”——お酒を売るだけでなく、高い利子でお金を貸して富をたくわえたのがポイントです。「土倉=土蔵を持つ金融業者」とイメージしましょう。


12 都市と農村の自治

なぜ自治が広がったのか

背景 内容
幕府の力の低下 室町幕府は、特に応仁の乱以降、幕府の力が弱まった
守護大名の独立 各地の守護大名は対立・独立し、中央の支配は届かなくなる
経済の発展 経済的に発展した都市や農村では「自分たちで決める」動きが自然と出てきた

都市の自治

京都・奈良、港町や門前町の都市が商業・文化の中心地として栄えました。 都市の有力な商人や職人(町衆)が力を持ち、都市の自治も中心となって行われました。

商工業の発達によって、京都の町は応仁の乱で焼けましたが、町衆とよばれる豊かな商工業者たちのはたらきによって復興されました。

農村の自治と惣村

農業技術が発展し、生活も向上した農村では、有力な農民が指導者となり、自ら村を治める自治を行うようになりました。 このような村を惣(惣村=そうそん)といいます。

戦乱から村を守るため、周囲に堀をめぐらせた村もありました。

惣村では神社などで寄合を開いて、さまざまなことを決めました。

寄合で決めた内容
村のおきて
年貢の納入、分担
水の使い方
山や林、池などの土地の管理

山林原野には、草や落ち葉が肥料になる、薪や木材を得られる、水となるなどのはたらきがありました。そのため、住民は寄合で山林原野や用水路の共同管理、祭り、年貢の納入などを決めていました。

ポイント:「惣村=村の自治」「寄合=その決定機関」。「寄合で決めた4つ(おきて・年貢・水・山林)」は記述問題の定番です。

注意:「自治が広がったのは、幕府が弱くなったから」だけではない——「経済的に発展したから」という2つ目の理由を必ず添えましょう。


13 室町時代の一揆

一揆とは

もともとの言葉の意味は「同じ目的を持って団結すること」です。 室町時代では、幕府や守護など支配者に対して、経済・宗教・政治の要求をかかげて蜂起(蜂起)する運動のことをいいます。

一揆が起きた背景には、農民が自治を行い力を持ったこと、幕府が弱く社会が不安定だったことがあります。

一揆には、農民だけでなく、一部の武士や僧など、さまざまな立場の人も加わりました。

室町時代の主な一揆

年 名称 場所
1428年 正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき) 近江国(滋賀県)
1485年 山城の国一揆(やましろのくにいっき) 山城国(京都府)
1488年 加賀の一向一揆(かがのいっこういっき) 加賀国(石川県)
名称 主な参加者 要求・結果
正長の土一揆 馬借・土民(農民) 借金苦に対して徳政令を求めた
山城の国一揆 村の侍(国人)・農民 守護大名を追放し、自ら自治を行った(約8年間)
加賀の一向一揆 一向宗(浄土真宗)の信徒 守護大名を倒し、約100年にわたって加賀国を支配した

一揆の3つの種類

種類 内容
土一揆 農民・馬借・町人による、借金帳消しや年貢軽減などを求めた一揆
国一揆 地方武士・農民による、守護の追放や自治を求めた一揆
一向一揆 信徒による、守護の追放や寺社による自治を求めた一揆

正長の土一揆のあと、民衆たちは「正長以後は、借金は一切ないのだ」と石にきざみました。 山城の国一揆で守護大名を追放した国人たちは、平等院に集まっておきてを定めました。

ポイント:「3つの一揆=3つの種類」。土一揆=借金帳消し/国一揆=守護追放(武士が主体)/一向一揆=信徒(宗教が主体)——「誰が」「何を求めたか」で分けましょう。

注意:「3つとも同じ年ではない」——正長1428(近江)/山城1485(京都)/加賀1488(石川)。年号と場所をセットで覚えましょう。特に山城と加賀は3年しか違いません。


人物整理

この回に出てくる人物を、役割で整理します。

人物 立場・よみ キーワード
後醍醐天皇 ごだいごてんのう 鎌倉幕府を倒す/建武の新政/南朝を開く(吉野)
北条高時 ほうじょう たかとき 鎌倉幕府の最後の執権
足利尊氏 あしかが たかうじ 初代将軍/1338年に室町幕府を開く/北朝をたてる
新田義貞 にった よしさだ 鎌倉幕府を倒す
楠木正成 くすのき まさしげ 鎌倉幕府を倒す(天皇方の武士)
足利義満 あしかが よしみつ 3代将軍/南北朝の合一/日明貿易/北山文化・金閣
足利義政 あしかが よしまさ 8代将軍/応仁の乱/東山文化・銀閣
細川勝元 ほそかわ かつもと 応仁の乱の東軍の大将(弟派)
山名宗全 やまな そうぜん(持豊) 応仁の乱の西軍の大将(息子派)
世阿弥・観阿弥 ぜあみ・かんあみ 能を大成(義満の保護を受ける)
雪舟 せっしゅう 水墨画を大成/明に渡って学ぶ
足利義昭 あしかが よしあき 15代将軍/織田信長に追放され室町幕府滅亡

ポイント:「義満=3代=上り坂」「義政=8代=下り坂」。数字と坂の向きをセットにすると、金閣・銀閣の区別も自動的に決まります。


年表で通し確認

年 できごと
1333年 鎌倉幕府が滅びる
1334年 後醍醐天皇が建武の新政
1336年 南北朝はじまる
1338年 足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府を開く
1368年 明が成立
1378年 足利義満が花の御所を建てる
1392年 足利義満が南北朝を合一/朝鮮が成立
1404年 日明(勘合)貿易が始まる
1428年 正長の土一揆
1429年 琉球王国が成立
1467年 応仁の乱(〜1477年)
1485年 山城の国一揆
1488年 加賀の一向一揆
1543年 鉄砲伝来
1549年 ザビエル来日、キリスト教伝来
1560年 桶狭間の戦い
1573年 室町幕府滅亡(織田信長が足利義昭を追放)

ポイント:「1333・1334・1336・1338」の4連続が最初の山場です。幕府滅亡 → 新政 → 南北朝 → 室町幕府——この4つを順番に言えるかが最初の関門です。


本体の要点チェック

予習シリーズ本体の要点を、確認問題の形で並べます。答えを右手でかくして挑戦してみてください。

問1 1333年に鎌倉幕府を倒した天皇の名を答えなさい。また、この天皇が自ら行った政治を何といいますか。
→ 答え:後醍醐天皇/建武の新政です。

問2 問1の天皇の軍を破り、北朝の天皇から征夷大将軍に任命された人物の名を答えなさい。
→ 答え:足利尊氏です(1338年)。

問3 1392年、南北朝の合一を行った3代将軍の名を答えなさい。
→ 答え:足利義満です。

問4 将軍の後継ぎ問題などが原因で、1467年から約11年も続いた戦乱の名を答えなさい。また、この戦乱によって中断された祭りは、後に京都の町衆によって復活されました。この祭りの名を答えなさい。
→ 答え:応仁の乱/祇園祭です。

問5 室町時代の日本と中国との交流について答えなさい。 ① 中国は日本に対して、日本人の海賊を取りしまることを求めてきました。この海賊は何とよばれましたか。 ② ①の求めを受け入れて中国と国交を開き、貿易を始めた将軍の名を答えなさい。 ③ ②の貿易は何とよばれましたか。
→ 答え:①倭寇 ②足利義満 ③日明貿易(勘合貿易)です。

問6 15世紀前半、沖縄で3つの小国が統一されて成立した国の名を答えなさい。
→ 答え:琉球王国です(1429年、首里が都)。

問7 農民たちが、村のおきてなどについて話し合うために開いた会合を何といいますか。
→ 答え:寄合です。

問8 15世紀に起きた一揆について答えなさい。 ① 1428年、近江国の馬借や農民たちが徳政令を求めて起こした一揆を何といいますか。 ② 1485年に起きた山城の国一揆は、現在の何という都道府県で起きましたか。 ③ 1488年、現在の石川県で、浄土真宗の信者たちが守護大名を倒した一揆を何といいますか。
→ 答え:①正長の土一揆 ②京都府 ③加賀の一向一揆です。

問9 京都の慈照寺には、今日の和風住宅のもとになった書院造でつくられた建物があります。この建築様式を何といいますか。
→ 答え:書院造です(慈照寺の東求堂)。

問10 自然の景色などを墨で描く水墨画を大成した人物の名を答えなさい。
→ 答え:雪舟です。


親子で最終チェック!10問クイズ

Q1. 鎌倉幕府が滅びた原因を、「御家人の不満」という観点から2つ答えなさい。

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①御家人の生活苦——元寇の戦費や借金が増え、徳政令で借金を帳消しにしてもらっても改善されなかった。②北条家の専制政治——北条一族が実権を握り続け、他の御家人が冷遇された。この2つで幕府への不満が全国に広がり、討幕の動きにつながりました。

Q2. 建武の新政がわずか2年あまりで失敗した理由を2つ答えなさい。

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①武士の不満——鎌倉幕府討伐の恩賞が与えられず、朝廷中心の政治で武士が政治に入れなかった。②政治が回らない——天皇中心の政治のしくみがなく、天皇がわの人員だけでは管理できず、にせの命令書が出回るほどだった。「恩賞がない」と「しくみがない」の両方を書くのがポイントです。

Q3. 南北朝の動乱について、北朝と南朝をそれぞれ「場所」「なりたち」とともに説明しなさい。

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北朝=京都で、足利尊氏が新しい天皇(光明天皇)をたてて開いた朝廷。南朝=吉野(奈良県)で、後醍醐天皇が逃れて開いた朝廷。全国の武士の多くはいずれかについて争い、この争乱は約60年続きました。1392年に足利義満が南北朝の合一を行って終わりました。

Q4. 室町幕府の中央の機関を4つあげ、それぞれの役割を答えなさい。また、鎌倉幕府の執権と室町幕府の管領のちがいを説明しなさい。

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①管領=将軍を補佐し、政所・侍所・問注所を統括する最高政務機関 ②侍所=軍事・警察(武士の統率、京都の治安維持) ③政所=幕府の財政(財産の管理、全国の行政) ④問注所=記録の保管(裁判の記録)。ちがいは、鎌倉の執権は北条氏が実権をにぎって中央・地方を統括したのに対し、室町の管領はあくまで将軍の補佐で、配置も中央の下だったことです。

Q5. 応仁の乱のきっかけと、東軍・西軍の大将の名を答えなさい。また、乱の後の幕府の支配はどうなりましたか。

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8代将軍・足利義政の後継ぎ問題(弟の足利義視か、息子の足利義尚か)がきっかけで、1467年に起こりました。東軍=細川勝元(弟派)/西軍=山名宗全(息子派)です。決着はつかず11年間続いて京都は焼け野原になり、乱の後は幕府の力が完全におとろえ、都のあった山城国(京都府)1国を支配するだけとなりました。

Q6. 日明貿易と朝鮮との貿易のちがいを、「対等かどうか」という観点から説明しなさい。また、日明貿易で使われた合い札の名と、その目的を答えなさい。

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日明貿易は、日本が明に貢ぎ物を持っていく朝貢貿易で、対等とは言えない関係でした。一方、朝鮮との貿易は対等な貿易でした(ただし倭寇の取りしまりも目的の1つ)。合い札は勘合で、貿易船と倭寇の船を見分けるために使われ、日明貿易は勘合貿易ともよばれます。

Q7. 北山文化と東山文化を、中心人物・特色・代表的な建築で比べなさい。

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北山文化=14世紀後半〜15世紀前半、中心人物は足利義満、豪華で華やかで公家文化と武家文化の融合、代表的建築は金閣(鹿苑寺)、能を世阿弥・観阿弥が大成。東山文化=15世紀中頃、中心人物は足利義政、質素で静かでわび・さびを重んじ禅の影響、代表的建築は銀閣(慈照寺)で書院造の始まり、水墨画を雪舟が大成し茶の湯・生花も始まる。

Q8. 書院造の特徴を3つあげ、現在の和風住宅とどのような関係があるか説明しなさい。

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①柱が角柱になった(新しい工具・大鋸の利用で木材を加工しやすくなったため) ②ふすまや障子で間仕切りをして、いくつもの部屋が独立するようになった ③床に畳がしきつめられるようになった。書院造は現在の和風建築のもとになりました(慈照寺の東求堂が代表的)。

Q9. 室町時代に自治が広がった理由を2つあげ、惣村で寄合が決めていた内容を答えなさい。

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①幕府の力が弱まった——応仁の乱以降、幕府の力が衰え、各地の守護大名が対立・独立して中央の支配が届かなくなった。②経済的に発展した——都市や農村が豊かになり「自分たちで決める」動きが出てきた。寄合では村のおきて、年貢の納入と分担、水の使い方、山や林・池などの土地の管理を決めました。

Q10. 室町時代の3つの一揆について、年・場所・参加者・要求(結果)を答えなさい。

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①正長の土一揆=1428年・近江国(滋賀県)・馬借と土民・徳政令を求めた ②山城の国一揆=1485年・山城国(京都府)・村の侍(国人)と農民・守護大名を追放し約8年間自治を行った ③加賀の一向一揆=1488年・加賀国(石川県)・一向宗(浄土真宗)の信徒・守護大名を倒し約100年にわたって加賀国を支配した。


まとめ:取り組み方のコツ

1. 「一本の坂道」で時代をとらえる 義満の時代(上り坂の頂点)→ 応仁の乱(下り坂の始まり)→ 下剋上(戦国時代へ)。政治の力が弱まるほど、町衆・農民・家臣が力をつける——この1本の線が、この単元の背骨です。

2. 「義満」と「義政」を数字で区別する 3代=義満=南北朝合一・日明貿易・北山文化・金閣。8代=義政=応仁の乱・東山文化・銀閣。「3は上り、8は下り」と覚えれば、金閣と銀閣を逆にする事故がなくなります。

3. 貿易は「相手・対等か・特徴」の3列で 明=朝貢(対等でない)=勘合で倭寇と区別/朝鮮=対等=倭寇取りしまりも目的/琉球=中継貿易=1429年・首里。この3行を白紙に書けるかが勝負です。

4. 一揆は「誰が・何を求めたか」で分ける 土一揆=借金帳消し(馬借・農民)/国一揆=守護追放(国人・農民)/一向一揆=信徒(宗教)。年号は1428・1485・1488——山城と加賀は3年差なので、場所とセットで覚えましょう。

最後に:室町時代は、「政治は下り坂、文化と経済は上り坂」の時代です。幕府が弱ったからこそ、町衆が自治を始め、農民が寄合を開き、文化が地方へ広がった——政治の衰退と、民衆の成長が同時に進んだのが室町時代のおもしろさです。テスト前は、この記事の年表・比較表・クイズ10問を親子で回してみてください。本日の伴走、おつかれさまでした!

 

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※本記事は、予習シリーズ 小5社会(下)第7回「室町時代」の学習範囲を、親子の復習用にAIを活用してまとめたコンテンツです。教材の最新版や授業範囲に応じて適宜ご調整ください。

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